保護さるべき京都の千鳥
昨年の五月、会員と共に鴨の河原で卵を温める千鳥を見ることが出来た。
三条大橋と程遠からぬ河原である。
これはイカルチドリ、普通に川千鳥と云って、少し大きな河川の中上流には普通に見られる千鳥でありさして妙しい鳥ではない。併し鴨川に抱卵する千鳥ともなれば別に考へたい。
と云ふのは、このイカルチドリこそは古来鴨川千鳥として詩歌にうたわれ、京都の自然情緒の一点景として京都とは切っても切れぬ所謂縁浅からぬ仲であるばかりでなく、一般には既に姿を消したと考へられて居る過去の鳥であるからである。
そしてこの一組こそは近々、他の河川から移住したものでなく、恐らく平安の昔からこの地に住みついて来た最後の一組と考へられるからである。
これは誠に貴重な存在であり、かけがへない京都の自然美と云ひ得る。心から無事巣立ちをしてくることを念願したのであるが、旬日を出でずして卵はなくなったそうである。そこは雑魚取りの少年が頻繁に往き交ふ河原であり恐らく見付けられたか、踏みつぶされたものと思ふ。誠に残念なことであった。
私はその折、これは広く人に紹介し、何とか手を打ちたいと考へてもみたのであるが、思ひ迷ふところもあって見過ごしたのである。千鳥にとっては誠に申訳ないことであった。
果して今年は如何であらうか。恐くは期待出来ぬところであるが、幸ひにして再び営巣が発見されたなれば、暫くの間でもこの地域方五十米の立ち入りを止め、皆で可愛らしい雛が巣立つのをほほへましく見守ってやりたいものである。これは亡び行く鴨川千鳥の最後の一組に対する京都市民のせめてものはなむけであり義務ではなからうか。
偖而、今、茲に、この鴨川千鳥とは別に、京都としてどうしても保護存続せしめたい今一種の千鳥がある。
それはケリ(鳧と書く)と云ふ日本的珍鳥である。同じ千鳥科に属するこの鳥は、元来北支、蒙古の草原に蕃殖し、冬期南支に渡る大陸の鳥であるが、往年の日本の原野にも随分沢山居たものらしい。大名の鷹狩の獲物としては最も普通の鳥であり、多数に採れたときはそのまゝ塩漬けとして保存したと記るされて居る。それが減りも減ったり、現在では東北の一部でそれも少数蕃殖すると知られる丈で、全く我々の目の前から姿を消してしまったのである。私杯も幼少から鳥好きで、凡そ珍しい鳥はたとへそれがどんな忙しい旅先であらうとも見逃すことはないつもりであるが、ついぞ最近迄は全く出会ひの機会はなかったのである。
それが所もあらうに、京都市の南辺巨椋の開拓田には今も尚多数に蕃殖して居ることが最近になって判明したのである。
何れ蕃殖状況の調査明細は、今年当り発表出来ることになると思ふが近年妙しいニュースである。
こゝで少しこの鳥を紹介すると−−大きさは凡そ鳩大、静止の折は灰色の地味な色彩で地上では完全な保護色をして居るが、翔び立つと途端に白、黒二色の極めて鮮明な体色になる。鳴声は一寸他鳥に類を見ぬ金属音でキ、キ、キ、キーリ、キーリときしるやうに喧噪に鳴き立てる。真冬を除いては大体この開拓田に定住し、水田の昆虫、小動物を採餌して居るものと考へられる。
兎角珍しい鳥である。
こゝで私が特に考へさせられるのは、土地の農夫の話によれば、この土地に広大なる巨椋池のあったずっと昔より多数に定住蕃殖して居たと信ぜられるこの特色ある大型の鳥が今迄、多くの探鳥家に知られることもなく、亦このかくれようもない都会近くの広坦な土地に奇しくも存続してきたことである。
これこそ大自然の片隅であり、大自然の盲点とも云ふべきであらうか。先の鴨川に抱卵する千鳥にしてもそうであるが、自然界にはかゝることがよくあるものである。
幸ひこの種の自然美は絵画的に眺めた丈ではその真価判らないまゝに見過ごされて居るのである。
私はこれを自然美に対する無関心の賜と考へたい。
土地の猟師や農夫には絶えず密猟の危険に曝され、蕃殖時期には、その卵は見付け次第取り上げられ乍ら、兎にも角にも存続を許されて来たことは、
「何だ、馬鹿鳥のことかあー、去年食べたらよー、香(コウバ)しかったあー」
とかたづけられるその無関心の賜と考へられよう。
自然美に関する限り、この無知と無関心、一見同意語とも思はれるこの二つの言葉程、全く裏腹の作用をするものはない。
自然美は無関心によって存続を許され、無知によって破壊されると云っても決して過言ではあるまい。
私は持論として、人類が近い将来、大自然との結び付、それもゆきづまった人間性の慰安と改善の場所として自然を現代以上に必要とする時期が必ず来ることゝ確信して居る。そのためにも自然美の保護は現代に生きる我々の義務と信じて疑わない。
にも不拘、この矛盾せる現実の前に如何に多くの自然愛好者が自然美の紹介に頭を悩まして来たことであらうか。
私は今、この自然美−珍鳥ケリ−の紹介に際して甚心迷ふものがある。然し乍ら、この儘に放置して置いたとしても、今迄は兎も角、野鳥の昨今に於ける急激なる減少はこの鳥をのみ例外にするとは考へられない。そして無関心による存続、無知による破壊を乗り越えて有知による愛護へ導く積極的なる努力こそ我々野鳥の会員の責務と考へ敢て筆を取った次第である。
この巨椋開拓田にはこのケリと共に、冬期にはこれと別種の田ゲリが見られる外、各種の野鳥が棲息する。特に水郷一口(イモアラヒ)方面に多いやうである。聞くところによると、この附近は最近水郷観光地として開発紹介されるそうであるが、願わくば、このケリを含める凡ゆる野鳥に対し積極的保護対策を立てゝもらいたいものである。川村先生はこの地のヒバリの囀りを全国屈指のものと折紙をつけて居られる。この美しいヒバリの声に和して、この珍鳥ケリが爽々しく碧空を舞ふ姿こそ自然美の極致ではなからうか。珍鳥ケリの多幸を祈りつゝ擱筆する。
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昭和31年『三光鳥』第4号
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