中共の雀退治に思う
さる4月19日の朝、首都北京の三百万市民は午前四時半にたゝき起こされた。病人と赤ん坊を除いて全員路上に整列。そこへ“首都の人民は本日朝から苦斗三日をもって雀を撃滅する。全戦斗員はそれぞれの持場で協力して戦ひ、規定時間内に戦斗任務を完成せよ”という命令が下る。首都雀撃滅指導部総指揮王崑崙、副市長が全市民に発した総攻撃命令である。で、市民たちはねむい目をこすりながら、女はサオ竹の先に赤い布をしばりつけ、あるいは片手にバケツか、洗面器、片手に丸たん棒をにぎって待機し、男は猟銃か、パチンコをもって屋根や木の上にはいのぼる。やがて、“用意”“はじめ!”の号砲。市民は一せいにバケツやドラ、太鼓、テッポウをドンジャン、ガンジャン、ドカンドカンと打ちならし、屋根の上におし立てたハリコの大入道をふり回す。驚いた雀たちは、わっと巣から飛び立って、あっちへ逃げ、こっちへ逃げするが、北京市中、どこへ行っても(天壇にさえもテッポウ組が待ち構えていた!)ドンジャン、ガンジャンとやられるのでとまって休むことが出来ず(下へおりて来たやつはパチンコや銃でしとめられた)夕方ごろには全鳥フラフラ、気絶して地べたへ落ちてしまうということに相成った。これは雀が物音におびえやすいこと、長く飛び続ける力をもたない(二時間程度という)ことなどの弱点をついた作戦で、三日間で約四十万羽の雀を退治、もはや北京の空には雀の編隊は見られなくなった、と中共の各新聞はグラフ写真入りで大々的に報じている。』
以上は或る週間雑誌の記事そのまゝの転載であり、どの程度真実を伝へたものであるかは不明であるが、兎角驚き入ったことがらである。その受け取り方は各人各様であり、その批判も色々あると思うが、私はこの記事を読んで感ずるまゝを、日頃の所信と共に述べてみたい。
本来、愛鳥精神などは所謂筋金の入った共産主義的唯物論者の前にあってはブルジョワジーの観念的遊戯に過ぎないかも知れないし、亦、雀が収穫期の稲田を荒らすことはかくれもない事実であるから、たとえ彼等が稲田に穀物のない長い期間をもっぱら草の種や害虫の駆除に大いにつとめてくれたその功績がまるで無視されて居るとしても、誠に不本意乍らとやかくは申すまい。が私がこゝで極めて遺憾に思うことは−−唯、その雀退治の大げさなことや、共産体制国のすさまじい大衆動員に驚き、あるいは、なすところなく殺された雀に対し憐みの情をそゝぐ丈ではすまされないものを感ずるからである。それは『自然及自然生物に対する現代人の心構え』とでも云い得ようか。そこにはそれらのものに対する人間としての謙虚さがいさゝかも感じられない。これは一体何に基くものであろうか。生物学知識の貧困もあろう。が要は科学の万能を誇る現代人の思い上りと自然の軽視に外ならぬと思う。
申す迄もなく、自然の生物が食物連鎖によって各々ある均衡のもとに共存して居ること、即ち−ナチュラル・バランスの法則−は生物学の最も初歩にして且つ緊要な法則であり、この点にいさゝかの考慮も払わず、唯目先の成果にのみとらわれて自然及自然生物の破壊を断行するのは無謀である。併もその連鎖の内容は複雑多岐にして余人の即断を許さぬものがあるに於ておやである。このことは、我々唯、中共の雀退治に目を丸くし三角にするのみでなく、自身充分に反省してみる必要がある。規模の大小こそあれ、大同小異のことは我国に於ても常に行れ、且行はれる可能性が多分にあるからである。
これは先頃の新聞記事である。政府の高官が、おそらくは「稲作と農業」について陛下に奏上したした際のことゝ思はれる、陛下より『益虫はどうなって居るか』との御下問にあづかり『善処致して居ります』とお答えした次第を、これは失敗談としてゞはあるが、本人自ら面白そうに語って居るのを読み、冷水三斗の思いがした。あきれはてた次第である。
昔から−無知程こわいものはない−と云う諺があるが、カスミ網猟復活等と云う馬鹿げた法案が憶面もなく提出されるのは、すべてこれと軌を一つにする処である。生物学的知識の貧困と自然に対する無理解、正に救うべからずと云うべきか。
私はもとより生物学をとやかく云い得る資格のものではないが、今日程、生物学の必要が痛感されることはない。反りみるに自然生物に対する知識の貧困は唯それを破壊するに止まらずし人間自身の社会生活の上にも限りない矛盾を諸々に露出して居ると云っても過言ではあるまい。
人間の恵智は人工衛星をとばし、原子力の秘密を解したりと雖も、社会は愈々騒然として斗争に明けくれ、本能のまにまに禽奔獣走し主義に従って正邪曲直の判断さえ出来ぬ現代である。自然を知らず、自然生物を知らずして人類を知り、人間性を解し得る筈がないからである。
むつかしいことはさて置き、兎角我々は先づ謙虚なる心を以て自然をみつめ、自然生物に接し、進んでその保護、育成に努力したいものである。
中共の雀退治の記事を読み感ずるまま……。(了)
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『三光鳥』第6号
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