高原の便り(No.71)
会員の皆さんお変わりありませんか。この冬には、特に皆さんにお知らせしたい出来事もなく、ついつい御無沙汰してしまいました。それにしても本年は例年に増して、雪の多いいささか暗い感じの冬であったようです。と申しますのも、私事になりますが、新年総会の翌日より2週間、御地の病院にて持病の糖尿病の検査入院を致し、こちらに帰ってよりもこの際引き続いて検査をとの主治医のすすめと、「私は一人で徹底的な冬篭もりの体験を」という家内の言葉に甘え、厳冬の最中を1ヶ月ばかり入院してしまいました。
それでも家のことが気にかかり、時折家に帰ってみましたが、積雪は例年にみるあのサラサラとして光り輝くそれではなく、何となく重く暗い感じでこれでは雪かきまでも大変なことと思われました。3月も中旬過ぎになって無事放免されて家に帰りましたが春の気配は全くなく、目につくものといえば未練たらしく居座っている冬将軍の図太い姿だけでした。
そのためか、4月の半ばになっても庭の林にも所々に雪が消え残り、例年ならば一斉に咲きそろうカタクリを始めとする早春の草花の美しさも今一つで、春の女神と呼ばれる待望のヒメギフチョウの姿もついぞ見かけぬまま5月を迎えてしまいました。
○あるヤマガラの巣立ちに
しかし、こうした春の寒さも季節のうつろいには抗すべくもなく、5月の下旬を迎えると気温は急に暖かくなり、我が家の庭もすっかり爽々しい新緑につつまれました。そんなある日、かねてよりの約束に基づき地元の自然同好者10名を招き、庭に大鍋を持ち出してガーデンパーティを開くことにしました。
宴もたけなわになった時、近くで突然悲鳴にも似た甲高い小鳥の鳴き声が起こりました。一同何事ならんとその方に目を向けますと、何と2羽のヤマガラが入り乱れもつれ合って台所の前を飛び回っています。たまたま台所の中にいた家内もまた一体何が起きたのかと窓から顔を出して呆然としております。
一瞬私は彼らの身の回りに何か異変の起こったものと察し、腰を浮かしかけたとき、何と台所の窓際にかけた巣箱よりバラ、バラ、バラと黒っぽい小さなものが次々に飛び出してきました。それはまさにヤマガラのヒナの巣立ちの瞬間であり、奇声は巣立ちをうながす親鳥の鳴き声と判りました。それと知った一同は、初めて見る珍しい光景に思わず感動の声を上げられました。
しかし、丁度ヒナ達が着地した辺りが池であることを知った私は、いささかあわてました。その池は沢の水を引き入れた畳3枚程の小さなものですが、以前飼育していた岩魚が一匹生き残り今では40p程に成長して岩の間にひそんでいるのを知っていたからです。
ぐずぐずしていたのでは小さなヤマガラのヒナなどひと呑みにされること確実、何とかせねばと思った瞬間、池に一番近くにいた一人がヒナの落ちた気配に気づき、いち早くかけよってくれました。果たして2羽のヒナが落ちていたそうです。1羽は何とか自力ではい上がり、近くの茂みにかくれたそうですが、もう1羽ははい上がれぬまま水際でもがいていたそうです。幸いこの1羽もすぐさま助けられ事無く終わりました。
それにしても、「よく素手で簡単に助けることが出来ましたね」と尋ねますと、彼は「いや、一瞬どうしたものかと迷いましたが、咄嗟のことに池の縁に膝をつき、手をのばしてヒナを捕らえようとした瞬間、ヒナが手先に泳ぎつき私の指をしっかりと握りしめて離さないので、なんなく引き上げることが出来ました。」と。
それを聞いた瞬間、私ははからずも子供の頃に体験したある出来事を思い出しておりました。
それは私がまだ小学1・2年の頃のことでした。学校よりの帰り一人畑中の道をたどっていますと、1つの肥溜が目につきました。何気なく中をのぞきますと瓶の底に大きなネズミが1匹うずくまっています。いたずら心から1本の竹竿を手にとるとのぞき込むようにしてその背中をつついてみました。あわてて逃げるものと思ったその瞬間、ネズミはさしのべた竹竿にとりつき、のそりのそりと上がってきました。あわてて竹竿を振るってみたものの、ネズミはいっかなことに竹竿を離すこともなくじわりじわりと手元に近づいて来ますので、びっくり仰天した私はあわてて竹竿を投げ出すと後も見ずに逃げ帰りました。 今でも忘れることの出来ない少年時代の思い出です。
この70年以上も前の出来事が急に思い出されたのは外でもありません。巣立ち直後のヒナが本来逃れるべき人間の指先を強く握って離さなかったという友人の言葉に胸を打たれたからです。
これは一体、どういう本能によるものでしょうか。タカに追われたキジは人間の足元に翔んでくるという話を聞いたことがありますが、それとは少し似て非なるものを感じます。
本来、生物の生きることに対する一瞬の判断、本能には人間の知能による判断をはるかに越えたものがあるのではないでしょうか。
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平成8年7月 『三光鳥便り』第71号
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