野の鳥の想ひ出
少年時代の想ひ出、そこには誰しも、あの懐しい村の祭りの太鼓の音であり、駄菓子の味ひがあり、手や足に乾びて纏ついた水垢の香りがある。併し私のその頃にはそれにもまして懐かしい想い出の数々がある。野鳥の想い出とも云い得ようか。静かに目をとじて回想するとき、その折々の野の鳥達の動作、姿は勿論、木の葉のさゝやきから、陽の光、はては、それらの考を包む折りの季節までが、まるで昨日のことのやうにまざまざと想い出されるのである。
そして野の鳥の少くなった今日、それらの想い出の一つ一つが今更のように貴重なものに思え、その頃の感激の薄らがぬ内に、季節を追うて記述して置きたいのである。
「村里時雨」
初秋に始まった秋は、中秋、深秋と深まり、晩秋、悲秋、窮秋ときはまって行く。
行秋ともなればもう初冬である。
私はこの頃の季節の移り変りに、今も昔も限りない愛着を感じて居る。あれ程、にぎやかであった秋の鳥、目白、ヒヨドリ、四十雀、モズ等の語れが途絶えると、村は急に淋しくなって行く。そして山里は毎日のやうに時雨れる。秋日和の日々、目白や山雀を追い廻して居た仲間の悪童達が、家にとじこもって誘いに応じぬようになると、私一人が林に行く。
さっと音を立てゝやって来た時雨が、黄色に染まった櫟の○と葉をぱらぱら落とし乍ら過ぎて行くのは見物である。晴れては時雨、時雨れては晴、そしてその度毎に遠くの山々が、朱泥と金泥の絵筆でさっと一刷したように輝き、亦消えて行く。
午后、北の空に虹のかゝるのもこの頃である。淡い短い虹ではあるが、裏淋しいこの頃の風物にほのかなあたゝかみをそえてくれる。すべてが、つめたい、淋しい美しさではあるが、身の内の深みにしみじみと感じられる美しさである。
私の少年時代はこの頃の想出の内には、忘れることの出来ぬ一つの感激がある。それは「カシラダカ」との出合である。私はその日いつものやうに楢の木漏れ日を追うてひらひらする秋蝶を追い、どんぐりを集めながら一人林の中を歩いていたのであるが、突然あちらからも、こちらからもおこる細いツ、ツ、ツの小鳥の啼鳴に驚いて立留ったのである。
それは今迄に聞き馴れている「頬白」のチチ、チチでもなければ「アオジ」のチ、チ、でもない、もっと細い鋭いツ、ツである。
私は注意深かくあたりを見廻したことを記憶している。そして折柄、初冬の落日に映えた雑木の梢のあちらこちらに、頬白よりも、もっと小さな今迄に見たことのない小鳥を発見した喜びは、それらの小鳥の頭の毛が一様に逆立って居たことの記憶と共に、忘れることが出来ないのだ。
それからもう二十数年にもなるであろうか、野鳥知識の上では、もうありふれた冬鳥の一つに過ぎないのではあるが、今でもこの頃になると相変わらず一人林を行く。やあーお前たち、もう来ていたのかと、手を振り乍ら。
「早春暮色」
旧二月、卯の月の正節を啓蟄と云う。新暦三月五、六日頃であらうか。この日地下の虫も穴を開いて這い出すと云う。
この頃の夕暮時には、何とも云へぬ味ひがある。未だうすらさむいが、しかし、そこはかとなく和いだ大気のたたづまいに、長い冬籠りから解放されたと云う喜びがしみじみ感じられる。
子供の頃、ふところ手のまゝ、夕焼けの門辺に立って、ジーと「ケラ」の鳴くのを聞いていると、どこか遠く遠くへ行ってしまいたいやうな気持にかられたことを想い出す。
渡り鳥はこの衝動を身の内に感じて遠くへ旅立つのであろうか。高木にかゝって居た夕陽が消えるともう辺りは残照である。夕もやに暮れなづむ畑の土の黒さと、大根の白さ、そこに働いて居る農夫達の姿が目に浮ぶ。
私は最近、その頃の想ひのままに、
啓蟄の畦たそがれて立話 深石
と云う駄句を作ってみた。帰りに惜しいこの頃の夕暮れを、農夫が鍬を立てゝ立話して居ると云った情景である。
私はこの頃の夕暮れ前の一刻を、農家や薮の裏道を好んでそヾろ歩きしたものである。塒につく前のジョウビタキやアオジ、ビンズイ等が思いがけぬ処から飛び出して目を楽しませてくれるからである。
丁度、その頃である。低声乍ら明瞭に、ピンツル、ピンツル、ピンツルツルーと早口の小鳥の囀りが、あたりのやはらかい大気を振はして流れて来たのである。一体何と云う小鳥であろう。私は今迄かつて、そのやうな囀りを聞いたことがなかったのだ。静かにしのび寄る小さな胸のときめき!そしてそれがたそがれ前の夕陽を浴びて生垣に囀る小さな小さな小鳥であったことの驚きは今でも忘れることの出来ない感激である。
この鳥がミソサザイであることを知ったのは、ずっと後のことであるが、其後絶えてそのやうな囀りを聞いたことはない。その頃では数多かったミソサザイの間もなく山へ帰る里への離別の歌であったのであらう。
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昭和29年『三光鳥』第2号
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