野の鳥の想ひ出(2)

 私は大正の初期、正しくは六年の秋、名古屋の街中に生れた。

 物心のつく頃から、与えられた玩具には一向に興味を示さず、もっぱら虫だとか魚だとか云った自然の生き物に気を引かれて一人遊んで居たそうである。

 そう言われれば、私の幼い頃のかすかな記憶の中にはその当時、街中の露地裏にも普通に居ったであろう色んな生物が浮び上って来る。………朝顔の葉にのるオンブバッタ、百日草の花壇のノミバッタ、台所の隅に群がるカマドウマや、苔庭をはいまわる大きなアリ………等をまるで世にも不思議な奇怪な生き物として眺めた想い出が、それは記憶と云うより、むしろかすかな感覚として残って居る。恐らくは三、四才頃のことであろう。それは決して成人後の観念の所産ではない。五、六才の頃の記憶はもう大分にはっきりしている。野の鳥に関する想い出が残っているのはこの頃からである。

 夏の夕べ、無数に飛び交うコウモリの群にまじって、時折ではあるが尾の長い鳥がさっと軒近く迄舞いおりるのを眺めて胸をときめかせたことを憶えて居る。ヨタカであった。また、或る月の明るい晩、影踏み遊びの最中、頭の上の老樹に突然「ギャアー」と云う物凄い鳴き声をきいて肝をつぶし、宙を飛んで逃げ帰ったのも懐しい想い出である。フクロウであったのであろう。アオバヅクの「ホーホー」の鳴き声は、夏は毎夜のこととして憶えている。

 しかし本当の私の野の鳥の想い出と云うべきものは、私の小学入校と同時に、やはり自然の好きであった両親が郊外に家を建てて移転したことに始まって居る。私は一人人力車にのせられて、郊外の新しい家に向った折の感激を忘れることが出来ない。町を出はずれると一面に菜の花と紫雲英の花咲りであった。ヒバリが鳴いて居た。若し今の私であったならばはるか遠くシロハラの鳴くのも聴いたかも知れない。私は胸をときめかせて新しい環境に降り立ったのである。

 およそ、生れ付き生物に対し異常なまでの関心を持ち乍ら、街中にとじこめられて居た少年が、突然に、あらゆる生物が太陽をいっぱいに満ち溢れている自然の中に自由に放り出された場合、その喜びが如何ようなものであろうか御想像いただきたい。

 それから数年、私は川を流れ、木に登り林を走り、草を分け、春夏秋冬を思う気ままに遊び暮した。懐かしい月日であった。この生活は私が小学四年の秋を迎え、かくてはあらじと考えた両親により、無理矢理に町の学校に転校させられるまで続いた。

 従って私の野の鳥に関する切実な想い出は、ほとんどが大正末期に当る小学低学年の頃のものである。考えてみると虫も多かったが、魚や鳥は多かった。特に野の鳥は多かった。当時のあらゆる鳥が、幼い私の目の前を過ぎた。あるものはゆっくりと、あるものは一瞬の間であったかも知れないが。

 あれから三十余年、自然は大きく変貌した。

 夕焼の沼の上を真黒になって飛んだギンヤンマの群は小川のせゝらぎを石の数程のぼったウナギの子は、かきの色づく頃、山から里へ絶え間もなく訪れた様々な小鳥達は一体どこへ行ってしまったのであろか。

 ひたひたと押し寄せる文明の波は、それらの自然の友を、最早、我々の手の届かない所へ追いやってしまった世に「桑海の変」ありとすれば、それはこゝ三十余年が程の間に起ったこの国の生物の世界について適切に云えることであろう。

 これは決しておろそかなことではない。

 文明にとり、人類にとりそれは大きな損失である。何とも淋しいことである。

 しかし私にはまだ「想い出」と云うなぐさみがある。私は折にふれてそれらの想出の数々をまるでかすみのベールをはぐようにはっきりと思い浮かべることがある。またあるものは静かに目をとじただけで、その折々の野の友の動作、姿は勿論、風のそよぎから、陽の光までもまるで昨日のことのようにまざまざと想い出すことが出来る。しかし、重なる歳月は、早晩、これらの想い出の多くを忘却の彼方に追いやってしまうに違いない。

 私は、私自身のために、また、懐かしい野の友のために是非とも、ささやかな想い出の記を書き残して置きたいものと前々から考えて居る。しかし世の雑事は、なかなか私にその心のゆとりを与えてくれないし、また、大方諸氏にお目にかける程のものでもないと思うと一向に筆が進まない。

 幸い今回は編集者よりたってのお推めを頂いたので不取敢、手元にある一片を失礼を省みず発表させていただくことにした。これは以前、地方の小冊子にのせたものであるが、大方諸氏の目には全くふれて居らないと考えるのでこの点、悪しからず御諒承願いたい。


野の鳥の想い出  其一

 それは確か、或る初夏のよく晴れた暑い日の午后のことであった。私はその日、一日中クイナのひなを探して小川から池へと一人さまよっていた。それは四、五日前、隣り村の少年が、何所で見つけたか真黒な綿毛につゝまれた可愛らしいクイナのひなを誇らしげに手にして居るのを見掛け、自分もどうしても手に入れたかったからである。

 探しあぐねた私は最後に、その頃最も愛して居た山あいの沼を訪れたのである。その沼は山の小路よりは、尚一丁程も奥まった山かげに、普段は人の訪れとて全くないまゝに静かに眠るように横たわって居た。沼は深い雑木の茂みに取り囲まれ、水際までは美しい「モウセンゴケ」の群生と、それに続く「イグサ」によく似た名も知れぬ水草の湿地帯からなり立って居た。私はこゝを訪れるときはいつでも雑木の茂みからそっと顔を出し、息をこらして沼全体を見渡すのを常として居た。何故なればこの沼の一隅にある倒木の上には、いつでも同じ場所に一羽のゴイサギが、水中の小魚をねらって、じっと立って居り、ときにはクイナがこそこそと水草の茂みを歩いて居るのを見ることもあり、また白い小さなスイレンの咲く沼の中央には、カイツブリが静かに浮んで居るのを常に眺め楽しむことが出来たからである。

 その日に限り私は、直ぐ茂みから飛び出すと、クイナのひなを探すべく、湿地の水草を踏み分け乍ら池のまわりをさまよい初めた。夏とは云い乍ら時刻も大部遅く、多分は相当に疲れていたことと思う。

 丁度、その時、一羽の大きな水鳥が、直ぐ目の前にいきなり飛び出して来た。私ははっと息をのむと、目をみはって立ち止った。カモだ!しかも手負いであるらしい。我に返った私は次の瞬間、もう湿地の水をはねかえして突進して居た。

 片翼をだらりと下げて左右に逃げ廻るカモとしゃにむに追いかける小さな子供の姿を御想像願いたい。しかしものゝ二、三分もたゝぬまに水草の茂みに姿を見失ってしまった。

 しばらくは夢中であたり一面さがし廻ったが一向にそれらしき姿も見当たらず、何とも失望の中にもとの辺りに引き返すと、驚いたことに、またしても目の前に飛び出して来たのである。

 今度こそはと勢い込んで追い廻した私の努力はまだまだ無駄であった。

 手負い乍らすばしこいこの鳥は、ほんの手のとどく辺りを左右に逃げ廻り乍ら、すぐ目の前の水草の中に身をかくしたのである。

 私はそこの水の深さを知って居た。摺鉢状に深くなるこの沼の清らかな水は、既に私の小さなひざの辺りを洗って居たからである。私はあきらめて引き返すより外はなかった。

 しかし全く驚いたことには、私が前の所に引きかえすと、何時のまに、何所を廻って来たのか、同じカモが、同じように飛び出して来たのである。片翼をだらりと延してばたばたさせ乍ら、一寸進行しては首をひねってこちらを見るカモの目は、何ともなく意地悪そうに光って居た。私は子供心にも普通のことでは駄目だと考えた。

 機を見て身をかがめると、飛び込みの姿勢で、いきなり飛びかゝったのである。

 私は確かにつかまえたかと思った。

 カモのやわらかい、なめらかな羽毛が両手の指先にふれたように感じたからである。

 だがやっぱり無駄であった。私は水しぶきを上げて水草の湿地にひっくり返ったにすぎなかった。あわてて身を起す間もなく、カモは力強くはばたくとゆうゆうと飛び立ったのである。私はずぶぬれになって身体を頭から胸へとなで下すと、子供心にもいいようのない屈辱を感じて辺りを見廻したことを覚えて居る。

 静けさは、再びこの山沼によみがえり、折から黄金色の射陽の内に、唯、私の踏みにじった水草が、一本、一本静かに起き初め、沼の辺りを埋めるモウセンゴケが異様に輝いて居たことを忘れることが出来ない。

 私は胸のときめきをおさえかねると、小走りに山をかけ下りて家路についた。

 ずぶぬれになって帰った私の姿に、不審をたゞす母親にも、とうてい満足な説明は出来なかった。私の小学二年の夏の忘れ難い想い出である。

 これが「カルガモの偽傷」であると知ったのは、ずっと後のことである。恐らく、その沼のあの場所にその時生れて間もないカルガモのひなが秘かにかくされて居たのであろう。   終

昭和35年『三光鳥』第8号


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