野の鳥の想ひ出(4)

 自然の生物が今よりずっと多かった私の子供の頃にはそれらの生物によって引き起こされる、不思議な出来事も未だ数多く残されて居た。

 物事もすべて科学的に割り切って考えねば、夜も日もあけぬ昨今とは異なり、萬事が大らかな世の中であったので、私の住んで居た村里などでも、未だミミズは鳴くものであり、マムシの目は夜光るものと信じられていた。狐や狸が人を化かした話とか、人魂や火の魂が出たと言った噂など、これはもう普通のこととして通って居た。勿論皆が皆そうであったわけでもあるまいが、多少の妖怪変化の存在には敢て疑ふことがなかったので、そうした話にも一段と現実性があり、身近な出来事として感じられた。私などは特に亦、幼い頃からこうした話に興味をもっていたので、少年期を向へた頃には、どこそこの薮には今でも狐が居るそうだ、村はづれの一軒屋から人魂が出るそうだ、などと言った噂話を耳にすると、もう、押さえることの出来ぬ好奇心と探索心にかりたてられたものであった。

 幸、その頃の夏の夜は、自然が限りない遊びの対象を次々と提供してくれたので、日が暮れると子供達は手に手に提灯をさげて集り、思い思いの遊びにふけることが出来た。時には随分遠く迄足をのばしたこともあった。

 月光に輝く夜の川や山の沼はもうそれ自体充分子供達を魅力し引きつける要素をもって居たので、たまさかにもせよ、昼間では見られない動物達のあやしげな生態が見られるとなると、親の目をごまかしてもこっそり出掛けたものであった。

 さてその程迄に自然の妙らしい出来事を心の内に期待し乍ら夏の毎夜を遊び歩いてみたもの、今にして振りかえってみると少くとも妖怪変化に関する限り、人魂一つ見た記憶もない。それらのものは、所詮は、正体見たり枯尾花の類であったか、或は当時の村人達のせい一杯の作り話であったのであろう。

 併しその各れにせよ、今にして思えば愚直と我れながらも敢て否定しなかった村人達はお互いの心の内に、現代の我々には考え及ばない大自然に対する愛情と畏敬を感じあって居たのではなかろうかと思えてならない。

 少なくともそこには大きなロマンが感じられる。残念乍ら現在に生きる私などには最早それに就て語る資格さえなさそうだ。こゝでは唯不思議な体験しての想い出それも野の鳥に関係あるものの一つ二つを当時の想い出をたどって記してみたい。


一、青白く光る五位鷺を見たこと。

 夏も終りに近いある夜のこと、私は近くの子供とさそい合せて松虫を取りに出掛けたときのことであった。何分一昔前の田舎のことでもあり、夏も終り近くになると家の圏りはもう秋虫の鳴き声で一杯になるのであったが、土地柄のせいか、松虫丈は不思議に少なく、この虫を捕えるためには二キロ程も離れた小松山へ出掛けねばならなかった。途中には林あり川ありで子供の二人連れではいささか無謀な遠出、今にして考えてみるとよくもまあと思うのであるが、毎日のように夜遊びをして居た当時の子供としては左程のこともなかったようである。とは言うものの松虫の声をたよりにあちこちとさまよい、捕えることにのみ夢中になって居る内は左程でもないが、さて愈々帰る段になると、もう意外に遠くへ来て居ることが気に掛り、何となくあたりのたゞずまいも急に夜が更けた感じがして薄気味悪く、とるものも取り敢えず家路を急ぐのが常であった。

 幸、その夜は特に月の明るい晩であったが、とある池の辺りを小走りに帰って来ると、突然バサバサと羽音を立てゝ翔び立った鳥があった。何分にも不意のことであり思わず小さな背筋をヒヤリとさせて振り向くと今しも翔び立った大きな鳥がクワッと一声ないて翔び去るところであった。

 「何んだ五位か!あゝ驚いた」と言う友の言葉も耳に入らぬ程気を取られたことは、その五位鷺の体が夜目にもはっきりと青白くボーッと浮き上がって見えたことである。私はあっけに取られてその五位鷺が消え去った黒々とした山蔭の辺りを暫くはぢっと立留って眺めて居たのであるが、このことに一向気を止める様子もない友に促されて、再び小走りに走って家に帰った。家に帰りつくと何はさて置き早速このことを父に報告したのであるが、父も亦それは恐らく月の光のせいだろうと別段気を止めてはくれなかった。

 後年になって知ったことではあるが、これは水鳥の体に附着した夜光虫の仕業に間違いなかったものと確心して居る。それにしても月夜でよかった。これが若し闇夜であり、勇しい羽音と啼き声がなかったら、私も恐らく、確に火の魂は実在すると主張して自然の不思議を信ぜぬ人と言い争ったかも知れない。


二、巨大な蚊柱に驚かされたこと。

 ある静かな夏の夕べ、夕べと言っても、既に西山の残照も消えて、この山蔭の田圃は間もなく宵闇にとざされんとするほの暗さの中にあったのであるが、私は白い浴衣をきた人影が一つこの田圃の中にぢっと立ち留って居るのを見掛けた。

 一体、今時分何をして居るのであろうかと半ば好奇心にかられて見つめて居ると、驚いたことにはその人影が音もなく私の方へすっと近づいて来たのである。見ると足がないではないか。私の幼い頃の記憶の中にもこんなに驚いたことはなかった。びっくり仰天とはこんな時のことであろう、私はあやうく腰をぬかすところであった。誠に若し、辺りをつゝむあの夏の夕べ特有のやんわりとした雰囲気の中でなかったならば、或は若しその人影が今少し私に近づいて来たならば、腰をぬかさぬ迄も奇声を上げて逃げ出したことゝ思う。幸いにしてその人影は私に迫ると見せてすっと横の方にそれて行った。

 幸、私は直ぐ近くの農家のなごやかな笑い声と灯の光に元気付けられ、少しばかりの心のゆとりを持ち直すと、一体これは何ものであろうかと改めて見直すのであったが、その白い人影の軽やかな動きはまるで田の面を流れるようで、私の幼ない知識の内では、噂にきく幽霊以外に該当するものがなかった。

 丁度その時、一羽の黒い鳥影がその人影に向って突入した。あっ!夜鷹だ!と思うまもなく、その鳥は一旋、二旋と突入した。全く見事な旋回と突入であった。

 その頃、夜鷹はコウモリと共に夏の夕べに見掛けられる極く普通の鳥ではあったが、屋根をかすめては旋回して飛び去るこの鳥の飛翔には、何か妖しげな魅力があったので、私などはもう小さい頃から何となくこの鳥に興味を引かれて居た。

 その夜鷹がはからずも目の前に現れての見事な飛翔に思わず目を見張ったのであるが、全く驚いたことには夜鷹に三旋の機会を与えず、その白い人影はさっとひろがり煙を散すように消えてしまったのである。攻撃の目標を失った夜鷹は、身をひるがえすと私の頭の上を反転して闇の中に消えて行った。

 この奇怪な夜鷹の動作とこの不思議な人影の正体は間を置く迄もなく理解することが出来た。田の面に煙散したと思われたこのものは間もなくどこからともなく集り一本の淡い煙の柱となって立ちのぼったからである。それは疑いもなく文字通りの蚊柱であった。

 それにしても何と言う巨大な蚊柱であったことであろう。それは常に見慣れて居るものの十倍否二、三十倍もあったかも知れない。私はその後二度とこのような見事な蚊柱を見る機会はなかった。

 恐らく亦この国の何処に於ても再びと見られるものではないであらう。最早我々にはこのような昆虫の集団が生き残る余地はなくなったようだ。かくして自然の妖怪変化も亦自ら消えて行くことになるのであろうか。

 そして亦、夏の露台の夕涼みに、見つけた蚊柱を口々に「ムーン」ととなえ乍ら、引き寄せて興じあったあの子供達の遊びも、すべて過去の単なる想い出として消えて行くことであろう。

昭和39年『三光鳥』第11号


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