野の鳥の想い出
第二話 フクロウの叫び声に驚いて逃げ帰ったこと
私は幼児期に於ける野の鳥の想い出第一号として、先に∃タカに就いて書いてみました。第二号としてフクロウに就いて書いてみたいと思います。元より当時、これらの鳥の名前や実体をしかと知っていたわけではなく、唯その姿、鳴き声を奇怪なもの不思議なものとして幼い脳裡にやきつけたのに過ぎません。前にも述べましたように、私は名古屋の街中に生まれて物心がついてより七才で小学校に入学するまでの間に一年余りを父の勤めの関係から豊橋の郊外の一軒家で暮らしましたので、その頃の野鳥を始めとする諸生物に関する想い出の数々を私のおさない年齢の上で整理するためには非常に幸運でありました。
私の四、五才の頃、即ち大正十年頃は今になって考えてみますと、我が国の自然が大きく変貌する一過渡期であったように思われてなりません。この頃を境として狐や狸が街中から姿を消し、地方の河川から獺瀬が姿を消したようです。祖母はよく寝物語に自分が体験した色んな動物の話を身近なこととして私に話してくれましたが、中でも私の生まれた頃にはこの家の縁の下にもムジナ(狸の方言)が住みついており寒い夜にはよくないていたという話などは幼い私にとっては何よりの魅力でした。それやかやらで私はそれらの動物に対するあこがれが年と共に高まり、四、五才にもなって母に連れられて外出するようになると行く先々で「この辺にはムジナは居るかキツネは居るか」と質問して大人を困らせ、「つい此の間まではよく姿を見たが今はみかけない」という返事を何時もきかされてがっかりしたことをおぼえています。
そうした生活の中で、今回取り上げましたフクロウは忘れられない鳥の一つです。冬の寒い夜、母や祖母に教えられて炬燵の中できくこの鳥の唱き声「ゴーゴー五郎助どうした」ときかれる鳴き声は、何ともすごみのある恐しげなものでした。又、新緑の頃に鳴くアオバズクの「ホー、ホー」もフクロウの鳴き声として教えられていましたが、これが別種の鳥であるとは元より知る由もありませんでした。街中に住む私が、どうしてこのフクロウやアオバズクの鳴き声をきくことが出来たかと申しますと、それは近くに大きな松の茂ったお寺とほど遠からぬところに「暗がりの森」と呼ばれていた神社の森があったからです。そして今回取り上げましたフクロウに就いての想い出もこの二つの森に関係しております。
一人で家の外に遊びに出られるようになった或る日、私はかねてより聞かされているフクロウをどうしてもこの目でたしかめたいという好奇心からこの「暗がりの森」へふらふらと出掛けました。そこは家からはほんの四、五百米の近くですが、幼児が一人で出掛けるような場所ではなく、私にとっては初めての遠出であり、大変な冒険でもあったようです。さてやっとたどりついた森の中へ恐る恐る入って行きますと、驚いたことには森の中の一軒家が火を吹き出して燃えかけているではありませんか。もうフクロウどころではありません。子供心にもこれは大変と思いつくと、このことを母に知らせるべく息せき切って走り出しました。どのように走ったかは全く覚えておりませんが、兎に角道を間違えることもなく家の中にかけ込みました。が生憎母の姿はなく、偶々井戸端会議中の近所のおばさん達が目につきましたので、「今、暗がりの森で火事だ」と告げましたが、唯きょとんとしている丈で何の反応もありません。子供心にもあて外れで、家に入るとそのまま寝てしまいました。半鐘がなって大人達がかけ出したのは大分たってからのようです。どうして伊藤の家の幼児が遠くの火事を知っていたのか、これは大変な問題として、暫くは街中の話題にもなったそうです。
さて本題に移りたいと思いますが、その頃の街中では夏の夜などとてものことに暑くて寝つかれませんので、日が暮れると家々では皆はん台を表に出して夕涼みを始め、子供達は手に手に提灯などを持ってあちこち歩き回るのが常でした。そんな子供達の遊びの中に、「影ふみ遊び」というのがありました。月の明るい晩に限っての遊びでしたが、子供達はめいめい月明かりの中を足をそろえて暗がりから暗がりへと好き勝手に飛び移るのですが、鬼になった子供だけが自由に走り回ってその影を踏むことが出来、影を踏まれた子供が今度は代って鬼になるという遊びです。何処かの地方ではその際飛び眺ねる子供達が、蛙をまねてギャッグ、ギャッグと声を出すのだそうですが私にはそうした記憶がありません。ところで近くのT寺は庭に大きな老松があり、月の明るい晩にはその影がまるで大蛇のようにうねりくねって地面にうつりますので、この遊びには格好の場所でありました。
或る晩のことです。遊びつかれて気が付くとと夜も大分更けており、辺りの様子も唯ならず不気味に感じられますので例によってわれ先にと逃げ帰るかまえを見せ始めたときのことです。突然、頭の上でギャーツというすさまじい叫び声がしました。肝をつぶすというのは全くこのような時のことでしょうか。もうそれこそ磨を抜かさんばかりに驚くとあとはもう無我夢中の内に古をとんで家の中にかけ込みました。父にきくとそれは多分フクロウだろうとのことでした。
あとあと郊外の田舎に引越してからは、夏の夜にはゴイサギやササゴイの鳴き声を普通にきくことになりますが、それとは又一段と異なった凄みのある叫び声でした。成人した戦後、大阪の榎本佳樹さんの著書の中にも、このような叫び声をフクロウの鳴き声としてあげておられますので、今ではそれに間違いないものと確信していますが、果たしてどうでしょうか。其の後二度とはきいて居りません。
第三話 青白く光るゴイサギを見たこと
私が少年期を迎えました大正の末期という一時期は、何かにつけて不思議な時期であったようです。街中にはラジオが、一歩遅れた田舎では電灯を先兵とした文明の波が身の回りにひたひたと押し寄せていました。が、私の知る限りの自然に就いて言いますならば、街中と雖も未だ至る処に自然が生かされており、田舎に於いては自然そのものが生きていたようです。
物事をすべて科学的に割り切って考えねば夜も昼も明けぬという現代とは異なり万事におおらかな世の中でした。私が小学校入学を迎えると同時に移転しました名古屋の郊外辺りでも、狸や狐に化かされた話や人魂や火の魂が出たという噂などは普通のことで、多少の妖怪変化の存在に就いても敢えて反対する者もなく身近な出来事として受け入れられていました。私などはこうした話が大好きでしたので、小学も三年頃になると夏の夜など二、三の友達を誘い合わせては自然の不思議を求めて随分遠くまで出歩きました。月光に輝く果てしない野原や山奥の沼などの景観は、今も尚私の心をはなれない神秘的な感動でありました。が、こと妖怪変化に関する限り私には人魂一つみたという記憶がありません。所詮は村人たちのせい一杯の作り話か冗談であったのでしょうか。併しその何れかにせよ愚直と笑われ乍らもそうした話の中にお互いの心を通じ合う現代の我々には考えもつかない自然に対する愛情と畏敬をしのばせていたものと思われてなりません。
が、同時に、自然の生物が今より格別多かった当時に於いては、それらの生物によって引きおこされたと思われる不思議な出来事が数多く残されていたことも見逃すわけには参りません。これらのすべては幽霊の正体見たり枯れ尾花の類に属するものかもしれませんが、私自身が体験したその二、三の不思議に就いて今回はその一つに就いて述べてみたいと思います。
夏休みも終わりに近い或る夜のこと、私は近くの友達と二人で松虫を捕りに出掛けました。何分その頃の田舎では夏も終わり近くなりますと家の回りはもう秋の虫の鳴き声で満々、夜食事をとっている間にも色んなコオロギやキリギリスの仲間が光をしたって部屋の中に飛び込んでくるのは常のことでありました。が土地柄のせいもあったのでしょうか、この松虫だけは例外で、この虫を捕らえるためには、家から二キロ程も離れた小松山まで出掛けねばなりませんでした。途中には川あり林ありで子供の二人連れにはいささか無謀な遠出とも思われましたが、当時は毎晩のように出歩いていましたので格別のこととは考えませんでした。松虫の声をたよりにあちこちさまよい、捕らえることにのみ夢中になっている中にどうやら道を間違えてしまったようです。あたりのたたずまいが普段見なれているそれとは異なり何となく不気味であり、急に夜も更けた感じがして薄気味悪く急いでその場を逃げだしました。が、どのように歩いても元の道には出られません。生まれてはじめての体験、道に迷うということの恐しさをこの時程感じたことはありません。兎に角息苦しいような胸のどうきの内に汗びっしょりになって歩いている内に、幸いにして以前遊びに来たことのある古沼のほとりにたどり着きました。丁度その時、足元からグワッという鳴き声と共に一羽の大きな鳥が飛び翔ちました。それはかねてよりの私共の野の友、ゴイサギの鳴き声そのものでありましたので、不意の出会いにもかかわらずそれ程にはびっくりもしませんでした。が驚いたことには、今しも沼の上をすれすれに向岸に向かって飛んでいくゴイサギが夜目にも明らかな程、ボッと青白く光ってみえたことです。
若し足元から飛び翔った鳥でなければ、若しゴイサギそのものの鳴き声をたててくれなかったとしたら、恐らく私は腰を抜かさんばかりに肝をひやし、火の魂は実在するものと信じて疑わぬ者の一人に加わったことと思います。あっけにとられて暫くはゴイサギの消え去った辺りを眺めていましたが、このことを一向気に止める様子もない友に促され、やっと判明した道をたどり小走りに走って家に帰りました。小学三年の折の夏の夜の想い出です。
後年になって知ったことですが、水鳥の体にはまれに夜光虫が不着し飛び翔って空中の酸素に触れると往々にして光を発することもあるとのこと。私の見たそれは、これに間遵いなかったものと考えております。今でも夏の夜の海で波打ち際に光る夜光虫を眺める度に、このゴイサギの青い光が想い出されてなりません。
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昭和62年『三光鳥』第34号
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