京都野鳥の会/《会員による海外探鳥記》

オーストラリア バードレポート  金田  忍

 特別企画による探鳥会のレポートは,例年,三光鳥誌で発表される慣わしとなっているが,昨年は11月末から12月初旬にかけて実施されたため,原稿が間に合わなかった。夢のようなオーストラリア探鳥旅行の模様を出来るだけ早く皆さんにお知らせしたくて,この度はレポートの大半を三光鳥便りの紙面を借りて発表することとした。
 まず最初に岩田俊一会員にお礼を申し上げたい。この特別企画は同氏のお薦めで実現したものである。現地に滞在中もずっとつき添ってご案内いただき,お陰で本当に夢のような旅をさせていただいた。チェンバースとシルキーオークは熱帯雨林の中にあり,いずれも野鳥の楽園としかいいようのない程素晴らしい環境であったが,それぞれに2泊するプランとなっており,落ち着いてゆつたりと探鳥出来た。食事はホテルを敬遠し,行く先々の小さなレストランやピクニックランチを多用したのも評判が良かった。すべて岩田氏の現地実査によるプランである。心から感謝申し上げる次第である。
第一日目(11月29日 ケアンズからチェンバースへ)
 ケアンズ国際空港には予定よりも15分早く,現地時間で早朝の 5時20分に着いた。防疫のためか食料品等の持ち込み制限が厳しく,入国検査に時間がかかった。これもある意味では自然(生態系)保護のためでもあり,やむを得ぬことかと思った。
 ロビーには先発しておられた岩田俊一氏を始め,探鳥案内人のアンディーとジョン,通訳のマーティンとアンドラーシュ,それにバス運転手のケンまで多勢のお出迎えを受けて恐縮した。
 岩田氏のアドバイスで両替をしたり,服装を整えたりしている間に1時間あまり経ってしまい,バスに荷物を積んで6:45にケアンズへ向かって出発した。ケアンズの中心部の海岸に沿ったエスプラネード通りには10分足らずで着き,バスを停めて早速早朝探鳥を行う。
 海岸に沿つた並木道にはジョギングや散歩の人影も結構多く,「グッドモーニング」と爽やかに声をかけて通り過ぎて行く。通訳のマーティンは植物通で,イチジクの樹の下に誘導して説明してくれるが,我々は鳥の方が気になって落ち着いて聞いていられない。
 並木の下の芝生には,白黒まだらでセグロセキレイを大きくしたようなツチスドリや,ムクドリにそっくりなカバイロハッカチョウ,セキレイのような形をしていて全身真っ黒,長い尾羽を少し開いて忙しげに右左に振って歩くヨコフリオウギヒタキなど,いずれも人を恐れず餌をあさっていた。ツチスドリの英名はマグパイ ラークで直訳するとカササギヒバリとなる。ヒバリのように複雑な囀りを持っている訳でもないようなので変な名前だということになった。
 並木には他にも鳥の気配が感じられたが,我々は海岸の石畳に続く干潟に群れる一面の鳥に興奮して歓声を上げた。数十メートル先の水際にはコシグロペリカンが十数羽固まっており,ホウロクシギ,オオソリハシシギ,チュウシャクシギ,トウネンなどの大型小型のシギが数種,チドリやアジサシが数種づつ,そしてダイサギ,クロツラヘラサギ,クロトキなどはばらばらではあるが,要するにごっちゃになって,うじゃうじゃとしか表現のしようがないほどの「一面の鳥」が干潟を埋めつくしていたのである。「あの鳥は何ですか」と聞かれた鳥がどれなのか特定出来ない混乱のうちに時間は経過し,あっという間に一時間経つてしまった。後ろ髪を引かれる思いでバスに戻り,朝食に向かう。
 ラディソンホテルでの朝食はバイキング方式で,口に合ったものを選んで好きなだけ食べられる。新鮮な果物とジュースがとても美味い。
 食後,隣接するピアで9時の開店を待って図鑑と地図を求め,皆がそろったところでバスは次の探鳥地に向かう。(9:30)
 フレッカーボタニック植物園には 10:30に着いた。園内はくまなくスプリンクラーで散水されており,芝生から樹木まで生き生きとしていた。気温はぐんぐん上昇し,35℃を越えているので,水がかかっても文句を言う人はいない。熱帯でも温室が必要なのだろうかと不思議であったが,その中には赤や黄色の原色の花がたくさん咲いており,マーティンがひとつひとつ名前を教えてくれるが,リップスティックホンとヘリコニア以外はすぐに忘れてしまった。
 フレームの前でキバラタイヨウチョウ♂が出迎えてくれた。数メートルの樹上でゆっくりと観察させてもらったが,濃い紺色のノド元と,まっ黄色の腹部のコントラストが美しい,サンバードの名がふさわしい小鳥だ。
 通りかかった園内の売店のベンチに誰からともなく座り込んで,案内人も戻ってきて休憩となった。あまりにも暑いのである。それぞれにジュースやアイスクリームを注文して渇きをいやしたが,私はビールを求めた。 350mlの小びんを保冷用の発泡スチロールの容器に入れてサービスしてくれたが,のどが渇いているので一気に飲み干してしまった。実に美味い。5ドルなので邦貨にして 400円ぐらいだ。
 メタリックブルーの大型のアゲハ蝶が,強い陽光を受けてキラリ,キラリと輝きながら飛んできて目の前の広い葉に止まった。パピリオユリシーズと呼ばれ,オーストラリアを代表する気品ある蝶だ。
 我々は道路を渡って一列になって熱帯雨林に入る。湿地帯なので材木を組んだ遊歩道が巨木の間を縫ってくねくねと続く。マーティンがたどたどしい日本語で一生懸命樹木の説明をしてくれるが,固有名詞はほとんど英名なので覚えていられない。
 暗い陰湿な熱帯雨林を出ると,芝生に囲まれた湖(センテナリーレイク)が明るく広がり,水面に群がる水鳥が見えてきた。足を速めて近づいてみるとカササギガンの群(約60羽) だった。水面に影を映したコシグロペリカンは大きな嘴の先から水滴をぽとぽとと落として波紋を描いていたし,マミジロカルガモは縫いぐるみのように愛らしいひなを岸辺に残して,ペアで湖の中央を泳いでいた。クロツラヘラサギは,一目でそれと分かる平べったい黒い嘴を突き出して上空を飛び去り,対岸の高木の枯れ枝にはサギ類が数種とアジアヘビウ,マミジロウなどが羽を休めているのが望見された。「ワンプー」という鳴き声から名前がついたワープーアオバトの声が聞こえる。この辺りはハトの種類が17種も分布しており,非常に多い。周囲の樹木には他にもキバラメガネコウライウグイスだとかパプアソデグロバトなどの陸の鳥も多く見られたが,我々の目は大型で華麗な水鳥に吸い寄せられ,野鳥の楽園てこんなところなんだろうななどと思った。
 昼が近づいたのでバスで移動してジャングルレストランに入った(11:30 )。こじんまりしたレストランであるが,中庭には小さなプールがあり,その回りの木陰のテーブルでサンドイッチと新鮮なジュースをたっぷりといただいた。
 レストランの前の並木道は,ポインチアナと呼ばれる真っ赤な花が今を盛りと咲いており,まるで深紅の炎に包まれたような景観だ。葉はネムノキ状,花は5花弁,直径5センチメートルぐらいの大型の花が,日本の桜のように樹全体が花に包まれていた。花期は12月いっぱいと長いそうだ。マーティンが「イイキセツニキマシタネ」と自慢そうだった。
 再びバスに乗って(12:30)アサートン高原へ向かう。標高 600〜 700mのこの高原はテーブル山とも呼ばれ,いくらか気温も低くてさわやかだ。バスの運転手のケンはイタリア人で,陽気で賑やかだ。カーボーイハットが良く似合う長身の彼は,黒いショートパンツをはいてバスを運転しているが,帽子とパンツが合わないので通訳のマーティンとアンドラーシュに「ケン,そのパンツはみっともないから止めろよな!」と冷やかされるが一向に気にしていない。野鳥が好きで目のいいケンは,鳥を見つけてはバスを止めてサービスしてくれる。
 宿舎のレイクイーチャムホテルには15時頃着いた。荷物を下ろし,チェックインして身軽になって,チエンバースに分宿になった人達を送りがてらに同行することにした。(15:30)
 チェンバースワイルドライフアパートメントは,道路からはずれて 500mほど入った熱帯雨林の奥にあり,バスを降りて小型車で送り迎えをしてもらう。私はアンディーの車に乗せてもらい,途中,ヤブツカツクリの巣跡など見せてもらう。下校途中の小学校2年生ぐらいの女の子を拾って車に乗せたが裸足なので驚いた。裸足で生活しているのである。宿の管理人の娘さんだったが,ブルーのワンピースを着て色白で栗色の髪の毛,青い目,裸足ときたら,森の中で輪になって踊っている絵で見た森の妖精のようだった。
 熱帯雨林を切り開いた広場の入口には,管理人宿舎があり,広場の芝生を囲んでジャングルの中にコテージが散在していた。長期滞在の家族向けに作られたアパートメントで,各室には厨房がついており,施設自体には食堂,喫茶等の設備は一切ない。コテージ間は適当に離れて建っており,その間の樹木や芝生には,野鳥やカンガルーなどが我がもの顔に遊んでいた。後で聞いたら,野鳥やモモンガなどが部屋の中まで入ってきて,人の手から直接餌を食べたそうである。
 広場のあちこちをうろうろして餌をついばんでいる馴れ馴れしい黒い大きな鳥は,放し飼いの七面鳥だろうと思っていたら「とんでもない!,ワイルドですよ。ワイルドターキーです。」と,岩田さんに笑われた。和名,ヤブツカツクリといって,ジャングルの中の枯れ枝の塚はほとんどがこの鳥の巣跡であって,繁殖期には枝葉を積み上げて発酵させ,その熱で卵を孵化させるのだそうだ。
 アカオオタカが出た。アンディーも「3年ぶりだ。」といって興奮する。
 時々姿を見せるワラビー(小型のカンガルー)はパディメロンと呼ばれる種類で,管理人が毎日夕刻に餌付けをしているのだそうだ。
 突然ジャングルの奥で歓声が上がり,添乗員の堀尾さんが息を切らせて皆を呼びに来た。アンディーがビクトリアライフルバード(和名はコウロコフウチョウ)の求愛ダンスの現場を見つけたというのである。暗い森の中の高い横枝の上で,若鳥が2羽向き合って,扇のように開いた両翼をかざして求愛ダンスの練習をしているのだった。アンディーがNHKの取材班を案内した時には,この場面を撮るために25日も待ったということだ。  夕方も17時を過ぎると陽が傾いて見にくくなった。その頃から鳥の声が賑やかになって俄かに慌ただしくなる。岩田氏が案内して下さる。「カンムリオーチュウが出ました。・・・」,真っ黒,赤い目,髭を生やした変な鳥だ。ネコドリは,さかりのついた猫みたいにすごい声を出し,ホイップバード(ムナグロシラヒゲドリ)は,鞭を打つような声だ。やかましやのゴールデンホイスラー(キバラモズヒタキ)は人を恐れることなく,管理人宿舎の街灯に止まってひとしきり囀り,自動車の屋根の上やバックミラーをつついたり,樹の枝に戻ったりと忙しく動き回りながら「ホイッ ホー ホイッ ホイホイホイのホイッ」と単純ではあるが,最も活発に囀りまわる。英名のとおりの笛吹き鳥だ。
 夕空には塒に帰る鳥の群れがたくさん見られたが,期待していたヨタカやフクロウなど,夜の鳥の声は聞かれなかった。
第2日目(11月30日・チェンバース滞在)
 この度の探鳥旅行には、鳥を見ることのほかにもう一つの楽しみがあった。鳥声の録音である。
 この十数年の間、5月6月の繁殖期を迎えると休日には夜中に起きて静かな山中に入り、野鳥たちの夜明けのコーラスの録音を採ってきた。その間にも一年一年鳥が少なくなっていくのが感じられ、ずいぶん遠くまで足を延ばすことも多くなったが、中西悟堂の「定本野鳥記」の頃の「人の話し声が聞こえないぐらい」のコーラスには一度も遭遇していない。日本ではもう駄目かと諦めていたが、岩田氏や天野氏の夢のようなレポートを拝見し、オーストラリアに野鳥の天国の夢を抱くに至ったのも無理はない。しかし、一方一抹の不安もあった。出発前に川野氏から借りて聴いた蒲谷鶴彦氏の市販の録音テープ「オーストラリアの鳥」がひどかったからである。そのテープにはたった6種しか収録してなくて、しかも、最も単調なスズミツスイの「チーン、チーン、チーン・・・・」だけの歌を10数分も入れているところから、熱帯の鳥はあまり囀らないのかも知れないとさえ思った。インコにしてもオウムにしても原色で容姿は美しいが、歌は聞いたことがなかったからである。ひょっとすると神様は熱帯の鳥には声ではなくて美しい姿と色彩とを下さったのかも知れないな、とさえ思っていた。
 ところが昨日夕刻のコーラスが素晴らしかったので、今朝は4時に起きて岩田さんにチェンバースまで送ってもらった。私の宿舎はヤンガバーラにあって、周囲は広い農地であり、熱帯雨林の中にあるチェンバースまでは10kmも離れていて徒歩では行けないのである。
 チェンバースには4:20に着いて、すぐに森の中に録音機をセットし、芝生の広場に戻って星空を眺めた。南の樹冠には憧れの南十字星が架かっていたが、樹木に囲まれて空が狭く他の星座の形がつかめない。南半球では星座が倒立し、例えばオリオン座の南の大犬座と小犬座は位置が逆になって、小犬座の方が天頂に近いのである。
 日の出は5時前なので、30分前の4時半頃から夜明けのコーラスが始まるものと期待していたが、虫の声だけで鳥の声は聞こえない。夜行便でやって来て昨夜もあまり寝ていないので、管理人宿舎の前のベンチで眠ってしまったらしい。5時半頃目が覚めて慌ててテープを交換した。あとで再生してみると、寝ていた間の録音も思っていたよりも賑やかに採れていたので嬉しくなった。
 一番鳥はキバラモズヒタキで5:10、ムナグロシラヒゲドリが続き、ネコドリ、ワープーアオバト、コウロコフウチョウと歌い手が増えていって、5時半頃には名前の分からない鳥の方が多くなり賑やかさも頂点に達した。録音の中から謎の美声が発見された。5:48分から5:57分の間に澄んだ可愛らしい声で「ホットケーキ」と10声入っているのである。もしこれが鳥の声だとしたら、世界中で最も愛らしい声としての評価を受けるであろうと思った。根拠は無いが鳥でないとしたらヤモリの一種ではないかと思っている。ブリタニカ百科辞典には、「多くのヤモリが声を出し、澄んだいい声で鳴く」とある。
 6時半頃通訳のマーティンと案内人のジョンがやって来て「ジョンさんと一緒に散歩しましょうね」と声がかかり、チェンバース組は森へ早朝探鳥に向かった。
 レイクイーチャム組は朝食を済ませてのち、バスで送ってもらい、9時過ぎにチェンバースに着いた。老練なアンディーの案内で熱帯雨林を散歩する。まず、新顔のチャイロセンニョムシクイが出た(9:28)。目立たない地味な鳥である。アンディーは鳥寄せの名人で、ほとんどの鳥声をうまく真似して鳥を視界におびき出し、我々に見せてくれる。続いてキンショウシジョウインコが出る。オスは全身真っ赤、黄色の目、緑の翼、体長44cmもあるこの辺りでは最大のインコだ。英名ではオーストラリア・キング・パロットと呼ばれるオーストラリアが自慢する華麗な鳥である。
 アンディーが「チョッ、チョッ、チョッ」と真似をするけれども、ハバシニワシドリは姿を見せない。この鳥は「庭師鳥」と呼ばれ、面白い習性がある。熱帯雨林の林床をきれいに掃除して、そこに緑色の木の葉を並べ、美しく庭を飾って雌を呼び込むのだそうだ。アンディーが実験だといってその葉を裏返しておいて、しばらくして行って見たらもう元に戻されていた。
 岩田さんがキムネハシビロヒタキを見つける。英名のとおり嘴がボートの様に丸みを帯びて幅広だ。
 熱帯雨林は荊で護られている。路からそれて森に入ろうとすると、頭上からぶら下がった細い蔓にびっしりついた釣り針状の荊が「チョットマッテ」と、衣服だけでなく皮膚にも遠慮なく突き刺さるのだった。無理して引っ張ると皮膚を引き裂いてしまうほど鋭利な荊で、地元では「チョットマッテ椰子」と呼ぶらしい。ヤシ科蔓性木本の一種で籐椅子、籐家具などはこの木の蔓から作る。一度痛い目にあうと、懲りて不用意には森に入れなくなる。荊が熱帯雨林の自然を護っているようだ。
 湖畔に出て小休止をする(9:54)。アンディーがようやくリストの使い方を了解してくれたようだ。出発前に会員の富川さんからご提供いただいたオーストラリアの野鳥図鑑をもとに、ケアンズ近辺の鳥のリスト(図版番号、学名、英名、和名の一覧表、約 400種)を予め案内人と通訳に渡しておいて、我々には図版番号を併せて知らせてもらうよう依頼していたものである。我々は英語は分からなくとも、その番号を手がかりにして図鑑を見ることも出来るし、リストによって和名を知ることも出来るので、その意味が分かるとアンディーも通訳も大変喜んでくれた。
 全員揃ったところで2班に別れて探鳥に出かける(10:00)。早速にウチワヒメカッコウが出た。「カッコウ」と鳴くのかとの質問に対し、アンディーはカッコウの仲間83種中「カッコウ」と鳴くのはカッコウただ一種のみであると明快な説明があった。ミツスイの仲間やメジロなどに托卵するのだそうだ。パディー・メロンと呼ばれる小型のカンガルーが目の前をとことこ走り過ぎた。
 この辺りには背中が緑色の小鳥が結構多い。同じ種類でも濃い緑の森に入るほど小鳥の緑も濃くなるようだとアンディーがいう。声だけで中々姿を見せないハバシニワシドリがいたというので、アンディーがプロミナーをセットしてくれる。その視力の良さには感心する。
 緩い傾斜を下りると揚水ポンプのモーターが回っていて、そこは野鳥たちの水場でもあった。日中、気温が上がるといろんな野鳥が水浴びにやって来るとのことだが、特にハトの仲間が多いのだそうだ。ちなみにこの辺りに分布するハトの種類は17種もある。カンガルーがつけた獣道を荊にかからないように用心して歩く。ムナグロシラヒゲドリが「キョキョキョキョホイップ」と地面で鳴く。キバラモズヒタキ、フヨウチョウ、アカクサインコ、バラムネオナガバト、キンショウジョウインコなどが次々と姿を見せ、そのつど歓声が上がる。
 再びイーチャム湖畔に出て(11:58) ピクニックランチとなる。32℃もあるのに意外に涼しい。木陰の木のテーブルに座って果物、パン、コーラのランチをいただく。キミミミツスイがやってきて会長夫人の手から直接バナナを食べた。俺もわたしもとバナナを突き出すが他の人では駄目な様だった。食事の間もキンバト、キバラコウライウグイス、ワープーアオバト、ツチスドリなどが姿を見せるので落ち着かない。ひょうきん者のバスの運転手のケンが食べながらはしゃぎ回る。「ボクはフルーツイーターだ」といつて、大げさなジェスチャーでスイカの種を上手に「プル、プル、プルプルプルプルッ」と吐き出して皆を笑わせる。湖では若い人達が泳いでいた。
 午後はバスの中から探鳥しながらアサートン高原をドライブする(12:30) 。目のいいケンが鳥を見つけてはバスを止めてくれる。ナンヨウクイナ、ヌマウズラなどがしょっちゅう路肩の草むらに飛び込むのが見られる。畑の中にはキジバンケンが遊んでいたり、チョウゲンボウなどのタカ類が電線に止まっていたり、セアカガケツバメのコロニーを見学したりしながらチナロー湖(霞ケ浦よりも大きい)の湖畔に出る。広い湖畔の芝生には人影もなく、プロミナーを据えてゆっくりと探鳥を楽しむ。オオバン、セイケイ、ズグロトサカゲリなどの水鳥の他タイワンセッカなどの陸鳥も出る。記念撮影をしたりお互いにスナップ写真を撮り合ったりと、久し振りに鳥に煩わされずに雑談をする。熱暑の日中は鳥影が少ないのである。木陰に入ってアンディーを中心にしてこれまでの見聞リストをまとめる。
 再びバスで別な湖畔に移動する(15:30) 。殺風景な湖畔で変わり映えしない水鳥にも見飽きて、岩田さんに案内してもらったブッシュで憧れの妖精に出会った。背中だけが赤い真っ黒なミソサザイで、セアカオーストラリアムシクイと呼ばれる小型でしぐさまでが愛らしい小鳥だ。ブルーのムナグロオーストラリアムシクイと共にオーストラリアを代表するラブリー フェアリー ウレンだ。
 夕方、一旦宿へ引き上げて19時の夕食まで各自の部屋に入つて休憩する。レイクイーチャムホテルのあるヤンガバーラは西部劇に出てくるような街並みだ。建物は木造の平屋建てか二階建てで、通りに面して木造のベランダのある家も少なくない。天井には大きな扇風機がゆっくりと回っており、明かりも総体に暗く、昼間の食堂は夜はバーになる。夕食は継ぎ足し継ぎ足しで建てられたらしい木造平屋建てのニックのレストランで始められた(19:00) 。ビールがうまい。食後、素人演芸会があり、当会からも芸達者な人が飛び入りして和やかなパーティーとなった。 
第3・4日目(12月 1〜 2日シルキーオーク)
 (6:30)今日の早朝探鳥は、アンディーと共にヤンガバーラの住宅地を歩く。日本のスズメとそっくりの姿をしたイエスズメが、これまたそっくりの声で騒いでいた。街路樹にはチョウショウバト、サメイロミツスイ、ゴシキセイガイインコなどが近くで見られた。
 この日はバスでシルキーオークスへ移動したが、その間の模様は岡田氏のオーストラリア漫遊記に詳しいので省略する。ポートダグラスから帰って翌朝の録音の準備をして早めに就眠した。
 明けて2日、4時に起きて福田さんと共にライトを持って出かける。水辺が良かろうと思って階段を50段も下りたモスマンリバーは、水音が高くてだめなのでまた高台に戻って静かなところを求めてしばらく歩く。キンヒバリ、キリギリス、カネタタキなどの仲間かなと思われるような虫の声で森中が満たされていた。録音機をセットして現場を離れ、森が途切れた所まで戻ってスターウォッチングとしゃれ込む。
 南南東の空に低く南十字星が架かり、それより低くケンタウルス座の一等星が二つ、京都ではよほど幸運でないと見られない龍骨座のカノープスは天頂に近く赤く輝いていた。北天にはオリオン座とそれを取り巻くおおいぬ、こいぬ、ふたご、ぎょしゃなどの日本の南天の星座が裏返しに架かっており、なかなか馴染めないでいる。
 日の出の時刻が過ぎたのに熱帯雨林の朝はまだやって来ない。5時過ぎになってようやく鳥たちの朝がやって来た(5:05)。5分ぐらいの間に急激に賑やかになる。繁殖期には日本の鳥は日の出30分〜1時間前には囀りを始めるのに、この辺りの鳥は朝寝坊らしい。コーラスのピークは日の出30分後の5:15頃迎えた。いや、こういうのはコーラスとは呼ばないのかも知れない、中には歌う鳥もいるが、大半の鳥はそれぞれ無秩序に叫び声を上げるだけで騒々しいだけだ。遠くでチョウショウバトが鳴いている。抑揚をつけた単純な「ホウホ、ホウホ・・・」という優しい声だが、その名の由来だと聞いた「嘲笑」には聞こえない。
 一旦部屋に戻り、6:30からの早朝探鳥に参加する。案内人は若いフィリップとスティーブだ。2班に分かれてモスマン川に沿って出発するが、早朝から日差しがきつい。この分だと今日は40度を越しそうだ。日陰を選んでぞろぞろと案内人に続く。
 舗装道路からそれてすぐのブッシュでムナグロオーストラリアムシクイ(別亜種)が出る。頬、頭、背中が当会のシンボルバードである三光鳥の目のまわりの様にメタリックブルーに光り輝やいた、可愛さはオーストラリアでNO1の宝石のようなミソサザイだ。地元の人は愛情を込めてラブリーウレンと呼ぶ。
 もう少し入ったところでシラオラケットカワセミが出る。体長よりも長い白い尾を持ち、嘴は赤、メタリックブルーの頭と羽翼、黒い背中に白い紋付きの華麗な鳥である。非常に臆病でなかなか姿を見せてくれない。この鳥は、シロアリの一種が地上に土で作った蟻塚に巣穴を設け、シロアリと共同生活をしているとのこと、通訳のアンドラーシュが詳しく説明をしてくれた。
 シマコキンが出た。逆光で見にくい。チョウショウバト、キバラタイヨウチョウ、イチジクインコなどに続いてチャイロモズツグミが目の前でバッタを食って見せる。コキミミミツスイ、バラムネオナガバト、キンショウジョウインコ、そしてモリショウビンが電線に止まって「ピョ、ピョ、ピョ、ピョ」と鳴く。この鳥は人を余り気にしない。その間にもワライカワセミがけたたましく鳴きながら翔ぶのが聞こえる。遠くでキジバンケン、チョウショウバトが鳴く。
 世界中どこにでもいると思っていたカラスがいない。その代わりワライカワセミを追いかけ回すというクロモズガラスが出た。カラスそつくりだ。マミジロナキサンショウクイ、ハシボソキミミミツスイ、パプアソデグロバト、キバラメガネコウライウグイス、ナマリイロヒラハシ、チャイロモズツグミなどの、長ったらしい名前の鳥が次々と出る。農家の庭のニワトリは「コケコッコー」と鳴き、茶色の中型犬が「ワンワンワン」と吠えるのは日本といっしょだ。
 この辺りから海岸にかけての平野部は一面のサトウキビ畑で、その総面積は日本列島よりも広いのだそうだ。サトウキビ畑の住民はタイワンセッカにモリショウビン、キジバンケン、ヨタカの仲間たちだ。目の前の電線に止まったタイワンセッカがいつまでも「ジィーッ、チョッ、チョッ、チョッ」と囀る。モリショウビンも遠くの電線に止まって動かない。
 ポートダグラスへ昼食に向かう途中のアンザックパークでの自由行動の時間を使って、岩田さんが近くを案内して下さる。近くに岩田さんが借りている立派な住宅があり、長期滞在型の観光についての事情を聞かせてもらった。広い敷地に建った一戸建て住宅で、生活に必要な設備はすべてそろっていて、数部屋付きの広さで一日あたり 6,000円で借りているのだそうだ。グループまたは家族で利用すればずいぶん経済的に思える。海岸はすぐ近くで野鳥もなかなか多く、モリツバメが電線に止まっておしくらまんじゅうをしていたり、英名でレインボウビーイーターと呼ばれる七彩のハチクイが電線に止まっていたり、カンムリオウチュウが黒い姿を見せたりで、鳥の気配が濃厚だ。朝と夕方は面白いだろうなと興味を覚えた。日本食レストランで昼食をとってシルキーオークスロッジに戻り、午後は休養となる。 
 暑さにいたまれずモスマン川で泳ぐ。岩田さんと添乗員の堀尾さんも泳いでいた。冷たい透明な流れで、潜ると20cmぐらいの魚に手が届きそうだった。流れに身を任せて空を眺める。気分がいい。爽快だ。
 また、岩田さんに案内してもらってデイントゥリー国立公園へシラオラケットカワセミをさがしに行く。夕方も近いので入口のモスマンリバーゴージュの駐車場ももう空いてるでしょうとのことだったが、そのとおりで車は数台だけだった。車を置いてすぐに遊歩道に入る。岩田さんは「多分5分以内に出る」と予告しておられたが、なんとその予告通りあの神秘的な姿を見せてくれたのである。暗い熱帯雨林の高木の下枝に止まっている姿は、白い長い尾を前後にゆらゆらと振ってくれなければ発見できないほどに見つけにくいものであったが、岩田さんの感とその眼力には本当に驚いてしまった。しばらくして飛び立って森の奥にと消えてしまったが、ご丁寧に鳴き声も聞かせてくれた。アカショウビンとよく似ているのである。谷本さんがうまく録音を採ってくれた。
 夕食はロッジのレストランでいただいた。何よりもビールがうまい。
 これで探鳥のスケジュールはすべて終わった。最初の連泊地のアサートン高原ではチェンバースを中心にして熱帯雨林の鳥を見、次に連泊したシルキーオークでは海岸からそう遠くない平野部の熱帯雨林の鳥をそれぞれゆっくりと観察させて頂いた。

 12月 3日はキュランダ高原観光ののちケアンズでケアンズ野鳥の会との交流バーベキューパーティーがあり、12月 4日はシドニーへ移動して市内観光、12月 5日はお昼頃離陸して予定通り20時頃関西国際空港に帰着したがその間の模様は岡田氏のオーストラリア漫遊記に詳しいので省略する。
 素晴らしい自然だった。近いうちにもう一度この地を訪れたい。その時には海岸部で一日、そして珊瑚の海で島に2〜3泊のスケジュールとして、ぜひ世界一の珊瑚礁の自然にもふれたい。
 鳥類リスト他詳細な資料は三光鳥誌に収録するのでご参照いただきたい。              終


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