京都野鳥の会/《会員による海外探鳥記》
タイ王国探鳥旅行 今井 亮・美代子
1月21日(火)
重ね着の冬服装を空港で一枚ずつ剥ぎ、所要時間六時間で現地時間深夜二十三時、バンコク(ドンムアン空港)に到着した。タイは乾期で好季節といえ、空港夜間27℃の熱帯の「むっと」する暑さ。空港から市内ホテルまで25q、本旅行の定宿「ノボテルホテル」泊。一行8人は男3人、女5人。各人有能多才な「ガヤガヤ」集団、その探鳥歴も多様である。リーダー吉田氏はタイを第二の故郷とする。タイ語はペラペラ、心強い。
1月22日(水)
早朝六時朝食、七時出発。十人乗りトヨタバスで新車とは嬉しい。今日はバンコク市内観光である。チャオプラヤ川のデルタ地帯である市内トンプりー地区に運河が多く、大半は道路に変わったが、昔ながらのラウンオノ運河を舟で回遊する。水路は両岸に果樹多く、パパイヤ、椰子、バナナ。ブーゲンビリヤ、ハイビスカス、カンナの花。至る所に仏教寺院(ワット)が見える。
舟は舳先が上に曲がった木造船。不思議なほどの静けさがある。水路には「ホテイアオイ」「水蓮の花」が波間に揺れる。水面にはツバメが飛び、電線にはカバイロハッカ、ハッカチョウの群、オオチュウ、カワラバト等、美声のシキチョウが囀る。物売りの舟が近づいて来た。おだやかなホホエミの顔。両岸の家々の入口は運河に向いて建っている。一軒の棺桶屋あり。色々な種類が見える。売店で休憩後、再び舟に乗る。有名なワットアルン(暁の寺)は今改修中で修理ヤグラで全容見えず。舟からさっと飛び降りるタイ人の身のこなしは観光客には出来ない。
ワットプラケオ(エメラルド寺院)を見学する。現在のラタナコーシン朝はラーマ一世に創立し、現在第九世プミポン国王に至る、立憲君主国である。国民は王室を敬い、王室一家の写真は至る所に多い。ワットプラケオは、創建以来増改築された仏教寺院であり、タイ固有の伝統建築様式の絢爛豪華さは、一見に価しよう。紺と橙色の屋根の独特の形、エメラルド色のガラスモザイク。違った形の仏塔の数々。これ以上私には語れない。
午後は市内で買い物。夕方、サイアム・インター・コンチネンタルホテルの庭園で探鳥。この広大な庭園には野鳥一杯。ミミジロヒヨドリ、セアカハナドリ、シロハラクイナ、ジャバアカガシラサギ、ムラオビオオギヒタキ、各種ハト類。明日からの探鳥は楽しみだ。
1月23日(木)
ノボテルホテルの朝食はいつもバイキング。七時出発。スパンブリ県スキハシコウ繁殖地へ向かう。ホテルより車で二時間国道を北上する。市外に出ると都市の景観が一変する。水田が広がり農村風景。道は広く、交通渋滞のため更に道路拡張工事が多い。それにしても何と日本車の多い事。車ボティにはニッサン、トヨタ、イスズ、の大きな板金ネーム。サムロー(三輪タクシー)、単車タクシー(背番号入りの運転手)が走る。今は乾期で陽当たりの良い草地の草は赤茶けている。水田の中に林、椰子の木が点在し、昔ながらのニッパ椰子の屋根小屋も多い。タイの農村を見て「水のくる所魚あり」と言われるが、水路か、水田か解らぬ泥池には水草、ホテイアオイが繁茂し、所々に常設の魚伏籠の網が見える。雷魚(プラーチョン)は渇水でも地中に潜み、雨と共に魚が蘇る。泥池には子供が入って楽しく遊んでいる。車窓よりの電線や木に止まる鳥の多さは十分楽しめる。80q平均の高速ドライブでは最初わからない。サブリーダーUさんはさすが目ききの探鳥家、敬服。オオチュウ、カバイロハッカ、ツバメ、カノコバトは常連鳥。インドブッポウソウ、アオショウビン、タカサゴモズが多い。又、竹藪も多いが農家具に竹細工の多いのも肯ける。
急に辺りが鳥の異様な声、……「スキハシコウ繁殖地」に到着した。林や竹の木の上は鳥だらけ。糞の臭いと、白い羽毛が雪の様に降り、思わず口に手を当てた。観察塔から見た鳥々……生まれたての雛達、卵を抱いている親鳥。縄張り争い中の鳥、巣作り中の鳥。その巣はごく貧弱なものだが、梢のどの木にもこの大型鳥が「ワンサ」といる。その数ざっと三十万羽。親鳥達は交互に近くの水田、沼地に主食の「オオタニシ」を捜して食べている。話によれば「オオタニシ」の殻を嘴の震動でくすぐって、その隙に独特の嘴で殻をきずつけず、巧みに中身を抜き取る技術があるといわれる。それにしても当地にはこれだけの鳥の餌がある自然が存在する。近年、農村の使用する農薬や化学肥料によって、今後どうなるか懸念される。やがて当地より、バングラディッシュ、インドに移動するようだ。半世紀前、オオハゲコウ、インドトキコウ、ハイイロペリカンの繁殖地があったと聞くが現在は無い。
次に「ナコンパトム県、カセッサート農大学」内の大池の探鳥に行く。池には、シマアジ、リュウキュウガモ、それにレンカク、トウバネレンカクが見られる。ムラサキサギの大きさ。広い校内には、ミドリハチクイ、ムネアカゴシキドリ、アオショウビン、いずれもその美しさにうっとり。
次は「プラパトムチェディ(黄金仏塔)」へ。タイ一番の高さを誇る黄金仏塔は王室の寺でもある。寺院は建築観光と共に、重要な探鳥地である。コベニサンショウクイ、アカハラシキチョウ(美声の鳥)、ホオジロムクドリ、クビワムクドリ等。タイの国花であるチャイプルックの黄色の花が咲き、インド菩提樹のハート型の大木が記憶に残る。ブーゲンビリヤの色も色違いがあり美しい。運転手も慣れない道路か、道を時々間違える。どこへ行っても小さなひなびた食堂の店が多いが、この辺りでは客も少ない。ひねもす女性が座っている。この辺りではタイ農村の風物詩、水牛の姿も見える。
ワットカオチョンプラー寺院に近づくにつれて、広い田園風景から山々が近づいて来た。ここにはすごい「こうもり」の洞窟がある。寺院の黄色のモンドゥプの尖塔に大きな夕日が落ちていく。今ここに起こる一大シーンを語ろう。待つこと久し、夕日が落ちる反対の山腹の洞窟から一斉に「こうもり」の大群が黒い帯状になって出て来た。なんと推定2400万匹。大空に広がる、まるで魔法の箱から出た黒煙の様に。これを、コウモリダカ数羽が上空から突っ込み、群れが乱れる。哺乳類こうもりは殆ど目は見えず、発する超音波によりお互いに衝突する様子も無く、夜の採食に一度に出るわけである。洞窟に溜まった糞には、蚊の未消化の目玉が多く残っていると聞く。この「ドデカイ」大スペクタクルは一見にしかず。今も私の脳裏に残り、色々なスリラー物語を想像して止まない。
夕方、バンコク市内の歓楽街の店前の街路樹一帯は「ツバメ」のねぐらとなっている。広野もあろうに、ここが一番安住の場所とは面白い。
1月24日(金)
今までの定宿、ノボテルホテルを一旦チェックアウトして、必要な物のみ車に積み、めざす100q先の「カオヤイ国立公園」に向かう。先ず「サリカ滝」周辺に下車。ひなびた土産物店を通り渓谷に入ると、エボシヒヨドリが多い。クマタカが上空に旋回し翼体の紋様をじっくり観察出来た。「ワンタクライ公園」「ナムロン滝」周辺で、ウォーレスクマタカ、クマタカを望見し、滝口近くでのイソヒヨドリは黒味を帯び、日本のものと違っていた。実のなる木には、エボシヒヨドリ、ミミジロヒヨドリ、コシジロヒヨドリ等のヒヨドリが交互に来る。コウライウグイス、マミハウチワドリも。昼間の鳥の動きの止まる時間でも、鳥の良く来る木は賑やか。このポイントを知る事肝要。
午後三時頃、目的地「カオヤイ国立公園」に到着する。カオヤイ(大きい山)は海抜800m。この広大な山林は野鳥の宝庫であり、また、象、鹿、山猫、猿たちの野生動物の生息地だ。公園の車道に先ず、猿のブタオザルがお出迎え。続いて、真新しい象の巨大な糞が道端に。近くに居るに違いない。野生のセクショクヤケイが出た。中腹の巨大な岩山の上からカオヤイの山容を展望した。熱帯林の樹木は大まかに三層の高さに分けられる。最高層は80mにも及び、最低層は15mに満たない樹木があり、その間に20〜30mの樹木群がある。地上は歩行不可能なほどの植物が密生している。そこには多くの昆虫類が発生するのである。タイには実をつける木も多いが、中でも小さな蔓草の様なものより大木まで、多くのイチジクの木が多い。これらはサイチョウ、ゴシキドリ、ヒヨドリ、ハナドリ等の食料となる。カオ・キ崖で一時間待つも、今日はサイチョウの出現は無かった。今は乾期で草原は赤褐色で枯れ、葉を落とす樹木もある。昆虫類の発生も少ない。やがて五月頃から当地は多雨になり、景色は一変するだろう。夜は野外で会食。宿舎の電灯の前の木立にヨタカが飛び、その声が近くで聞こえた。
1月25日(土)
広大な国立公園で二日間の探鳥ではその全容は語れない。見渡しの良い所で車を止めた。リーダーの探鳥の好ポイント。前方はさすがに鳥の声が賑やかで鳥影も多い。山の稜線にオオサイチョウが二羽飛ぶ。昨日駄目だったのに、感激。ヒイロサンショウクイ、キビタイコノハドリ、アジアルリコノハドリの極彩色、ヒメカザリオウチュウのひらひらラケット(尾羽根)、クリチャゲラ、ヤママカドバト等々、このポイントで十五種。公園ビジターセンター見学は都合で中止。近くでハクオウチョウ、オニグロバンケンモドキ(一部の人)、ルリカワセミ(私だけ)発見。ここで数日は探鳥したい所だが、後髪を引かれる思いで、午後次の探鳥地、ここから200q先の「ナコンサワン県、バンポラペート湿地」に着かねばならない。
夕方、湿地岸に着く。リーダーは早速明日のボートの手配に忙しい。セイケイの雛連れが岸辺に。
ピマンホテルより市内を歩いて、タイ料理店「湾菜酒家」へ。タイ中部に位置する当地の夜は町並み暗く貧弱であるが、市中を走る車は多い。ゆっくりと郷土料理とお喋りを楽しみ、市中に数台屯する小型トラックの一台に声をかけ、全員勇ましくホテルまで御帰還……旅の想い出だ。
1月26日(日)
バンポラペートは、タイ最大の湿地帯である。タイ北部からの四大河川が合流してチャオプラヤ川の本流となる当地では、今は乾期であるが雨期(五月〜十月)には水量は増大し、この湿地帯の水位は異常に上昇する。下流チャオプラヤ川のデルタ地帯であるバンコク周辺を、洪水から守るための水量調整用の自然のダムの機能がある。この洪水を避けるため、この大量の雨水を東西の河川に振り分ける治水対策の結果、今日の東南アジア有数の稲作地帯が形成されたのである。この常時灌水地帯の水田は浮稲栽培であり、最大深さ二〜三mに及ぶ浮稲があるという。
湖面は静かに肌寒い。そこにはツバメの大群(ツバメ、リュウキュウツバメ、アジアイワツバメ)。シマアジ、リュウキュウガモ、アジアコビトウの姿、それに(小型)ナンキンオシの白い綿羽毛が湖面に映える。きれいな鳥だ。近くの水草の上のレンカクが驚いて、数羽飛び立つ。時々舟を水上に止めて、プロペラに巻き付いた水草を鉈で除去する。日本に多いオナガガモもいる。約一時間の船遊より中州に上陸する。二階建て観察小屋がある。(昨年秋の探鳥時には増水のため舟は二階に着けたとか)この血諫何中州は探鳥の桃源郷と言えよう。セイケイ、インドトサカゲリ、オニセッカ、ルリオハチクイ、タカサゴモズ、シロハラクイナ、ハイイロチュウヒ等が短時間に探鳥出来る。マダラチュウヒが白い翼体の紋様を見せて、林を低空で旋回する。さすがのリーダーもびっくり。時間があれば数日滞在の価値あり。再び舟に乗り、陸地近くの湿地帯(足場悪く上陸不可)。色々のシギ、チドリが潜んでいる。ツバメチドリ、セイタカシギ、オグロシギ、オオソリハシシギ、ムナグロ、タシギ、タカブシギ、ムラサキサギ等々。オオハゲコウの前で写真をパチリ。ハイイロモリツバメが電線に止まる。とにかく多忙な旅だ。次はタイ観光のメッカ、「アユタヤ」に向かう。
途中「タユハキュリ」の村落の食堂で昼飯。二階は思ったより広く、眼下に母なる川、チャオプラヤ川が一望出来て川風が快い。さすが旅の疲れの出る頃だ。リーダー夫妻は我々のため、タイならではの現地料理の心遣いに感謝。感激。名物川魚料理は素朴ながら、数種の香辛料をお好みにつけ、Kさんの豪快な飲みっぷりに、ついつい二人でビールを独占。ビールあっての探鳥かな!!店の軒先の鳥カゴに、コウラウンが飼鳥として飼われていた。
「古都アユタヤ」に着く。スコータイ王朝400年の栄華の跡。古い仏塔の多くは果てたままの姿で、街中に点在している。近郊に山田長政の墓、往事の日本人村跡と日本人墓地もあるそうだ。つわもの共の夢の跡!!
入口に「小鳥を鳥籠に入れ」て持つ物売りの少年は、我々を見て「スズメ」「スズメ」と言う。この鳥を買って解き放ち、功徳を積む仏教の放生(ほうじょう)のためなのである。アユタヤでの滞在時間は少ない。旧跡の絵ハガキを買う。遺跡の近くの菩提樹に、インドコキンメフクロウの雛三羽が身を寄せ合う。コベニサンショウクイ、ミドリヒメコノハドリが右往左往。リーダーから、あれがオジロビタキの声だと聞いて探すがさっぱりわからず。日本の希少種もここでは常連。
ここからバンコク迄帰る。200qはあろう。我々の探鳥旅行も終わりに近づいた。帰りの車窓より見る鳥の見方も幾分慣れた。車の停止した時、身近に見えたインドブッポウソウ。道路近くの木の下にいるオオバンケン、ヨコジマオナガバトも、日を重ねるにつれて身近な鳥に。
最後の宿は定宿、ノボテルホテルで。
1月27日(月)
いよいよ最終日。バンコク東郊外海岸の、バンプー海岸へ。ナンヨウショウビン、アオショウビン、ヤマショウビンがお目当て。順光に当たった羽毛は何回見てもよい。三種が同場所で見られる探鳥地は少ないのではないか。感謝。
近くの、タイの歴史的ミニチュア建造物を集めた公園(muang boran)を車窓より観光(タイの案内書に無い)した。なかなかの探鳥地である。シロガシラムクドリ、ズアカサイホウチョウ、ルリオハチクイ等々。イワミセキレイを探したが私には見られず。
市内の交通渋滞は慢性的ですごい。多分東南アジア最大のものであろう。警笛が無いのが嬉しい。それにしても、市街の混雑喧噪の中でも歩く人の表情は穏やか。黄色衣の若いお坊さんの姿も見える。タイの女性進出は活発の様だ。仏教国、ほほえみの顔に、私たちは親しみをおぼえる。
空港のロビーで鳥合わせ。鳥数160種。サブリーダーのデータ集計に感謝。23:55発。ぼちぼち厳寒の日本の服装の準備にかかる。
サワディ・タイランド!! 再見!!
1月28日(火)
7時00分 関西空港着。
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