来じとおもひしうぐひす来啼くうれしさよ朝よりつヾく春雨の日を(癸巳3月23日)
どんよりと空うちくもる西賀茂のみ寺いづれば夕雲雀なく(同4月28日、神光院)
古寺の門をいずれば西賀茂の麦生のそばにひばり啼くなり(同)
下啼きに啼く山鳩の声ききてこころわびしき朝まだきかな(同9月27日)
野道とほくもずのなくねのひびき来て小春の園にコスモスの咲く(同10月22日、神光院)
小春日のそらに高鳴くもづの声真言寺のみ堂にひびく(同10月22日、神光院)
真言のみ堂にひびくもずの声み経の調をみだすがごとく(同)
冬ごもり春とほけれどうぐいすのささなく声をきけば楽しも(同11月16日、小山居)
赤ら実のしみらにしげる萬両のさ枝ゆらぐは鵯の居しなり(甲午1月19日、同)
北庭の泰山木の下枝にこの冬は来ぬ尉鶲(じょうびたき)かな(同)
“ビンズイ”雌雄の構巣
カメラ:レフコレ、テレホート 12インチ
高田撮影
三光鳥に寄す 中島 利夫比叡の山杉むらくらき葉隠れに三光鳥をききし日忘れず百舌鳥考 伏原 春男
慈照寺の裏山深きこがくれに三光鳥はさやに鳴きをり
青わか葉しみらにしげる木のうれゆ三光鳥はしば鳴きやまず
極楽の牛追鳥か月日星、ほい、ほい、ほいと玉転ばして
龍宮のゆめのうてなの貴人の玉のみ声の使鳥かも
天路はるか美(は)しのしだり尾潮風に吹きなびけつつ汝や翔び来し百舌鳥野
「和泉国北郡に在る野(現在の堺市)一名百津原といひ、百舌鳥耳原という。仁徳天皇此地に幸して陵地を定め、壽(?)蔵を築かしめ給ひし時、鹿、役民の中に走り入りて仆れしかば、異しみてこれを検せしに、百舌鳥其耳の中を喰ひ割きて飛び出でたり。
百舌鳥耳原というは此故なりといふ。
百舌鳥野耳原中陵 仁徳天皇陵(堺市外に在り)
百舌鳥野耳原南陵 履中天皇陵(堺市外に在り)
百舌鳥野耳原北陵 反正天皇陵(堺市外に在り)
百舌鳥八幡宮 堺市にあり」
百舌鳥と書いてもモズと訓み、モズといえば誰しも初秋になると「キーキー」と啼く小鳥のことヽ考えている。現在それが社会通念上広く通用して居れば、たとえ考証的には誤りであっても、それでいいわけだが、モズなるものが果たして鳥学上のモズ属Laniusに当たるべきものであろうか。我が国では古来モズに対する渾名に、百舌鳥の他に鵙、伯労も同時に用ひられてゐて、何れもモズと訓んでゐるが、本草項目(明の人李時珍編)には伯労(鵙)と百舌鳥は明に別種として記述されてありて、即、
「百舌鳥は樹孔窟穴の中に居り、その状○○(ハッカチョウ)の如し。その身○長く、灰黒色にして微に斑点あり、嘴は尖り、行けば即頭を○す。好で蚯蚓を食し立春の后鳴き、夏至の后声無く、之を畜ふも冬月即死す。能く舌を反し、百鳥の声の如し、故に百舌反舌と名く。」
之を見ても、百舌鳥はモズでないことは明かで、樹孔、窟穴に居るという点は一寸おかしいが、その他の記述から考えて、百舌鳥は、英語でいうブラックバードTurudus merulaであると思はれる。特にミヽズを好むという点、クロツグミの如く拾ひ込みをするらしく、百鳥の声の如しという点など、仲々その生態観察がよくなされてゐる。
寺島良安編の和漢三才図会には百舌鳥を豆久見(ツグミ)と訳してゐるが、共に鶫属の鳥であるから、モズというより当らずとも遠からずと言えよう。又貝原益軒はその著、大和本草に曰く。
「順和名抄に、鵙をモズと訓じ、伯労とし、百舌鳥とす皆非也。伯労と百舌鳥は別也。伯労一名鵙。百舌鳥は中華より来ることあり。モズに非ず。」
これをみると、伯労又の名鵙も果してモズであるかどうかも疑はしい。
又、小野南山は、大和本草批正に於て、次の如く述べてゐる。
百舌一名反舌は和名詳ならず。和泉国にモズと云う地あり。百舌鳥と書すは謬りなり。鵙一名伯労はモズに充つべし。百舌鳥は中華より来るも、近年舶来なし。
一方現在支那に於て、モズ類に対してどの様な字を当てヽゐるかというに、何分大国のことであり各地方の方言も多種多様であろうが、比較的学術的に信用のおける西湖博物館鳥類目録(日本鳥学会機関誌“鳥”第10巻336頁参照)を見ると、南支那では極く普通の、我国のモズに代るべきシナタカサモズLanius schacha shach L.に伯労を当てヽゐるので、一応現在支那でもモズ類を伯労と称してゐるとも考えられるが、この博物館長であった薫○戌理学士という人は、京大出身の日本で教育を受けたさうであるから、日本のモズの当用漢字を再び支那に逆輸入したと考えられる節もないではない。というのは支那産のサンセウクヒに対して、山淑鳥と全く日本名そのまヽの漢字を当てヽいるからである。さて、ブラックバードに就いて一言すれば、これは鶫科の中でも真の鶫属の小鳥で、その啼声は先般、川村先生御秘蔵の英国の小鳥鳴声レコードによって皆様すでに御承知と思うが外観はツグミより少し大きく、全身黒色であるが、クロツグミの様な黒さとは又異ひ雄の方は金属光澤を多少帯びている。ヨーロッパには広く分布していて、左程珍しい鳥でもなく、エヂプトから印度をへて、南支那に迄分布し、地方により数亜種に分けられてゐるが、特に支那産のものはTurdus merula mandavinus 英名chinese Black birdという亜種で、日本ではシナクロウタドリと訳されてゐる。南支那には、極く普通な留鳥で、公園や人家の庭園にも営巣するもので、その啼声は我国のクロツグミに似ているが、クロツグミに比べてその声に勇壮さがなく、何となく哀調を帯びてゐる。隣国の支那に産するこの鳥が、日本列島には全然分布していないのは不思議だが、その代りに、クロツグミと云うより以上の唄ひ手を神が与え給うたことを吾々は感謝すべきであろう。以上のことから考えて百舌鳥なるものは当然シナクロウタドリに当てるべきであるが、伯労又は鵙なるものも果してモズの類かどうかもあやしいものである。
私は伯労も元来はモズを指すものではなかったが何時しかモズの意に転化し、本草綱目の編者李時珍は恐らく知目鳥科か山淑喰科の鳥の一種に当てたのではなかったかと考えてゐる。標本を比較することも出来ず、本草綱目の記述を唯一のたよりに日本の鳥名に漢字をこじつけようとした徳川時代の本草学者の苦心もあること乍ら、現在モズに対し鵙なる字が最もよく使用されてゐる以上、無理が通れば道理のへこむ総て多数決の世の中のこと故、モズには鵙をあてておくのが、最も無難かも知れぬが、強いて漢字を用いずとも、モズと仮名で書いておくことが最も鳥学的には正確であることは勿論である。 昭29.1.22稿
在華断想 伏原春鳴洞庭湖畔
夕立は濡れたり湖南の山碧く小綬鶏の声おちこちにきこゆ
衡山
熱風を吹き上ぐ丘の萱の上に羽団扇鳥(ハウチハドリ)の声しきりなる
長沙
爆音の切れ間かい見て畫眉鳥(ガミテフ)のはやも来て啼く仮舎の背戸に
野の鳥の想ひ出 伊藤正美京都附近の方言 伏原 報少年時代の想ひ出、そこには誰しも、あの懐しい村の祭りの太鼓の音であり、駄菓子の味ひがあり、手や足に乾びて纏ついた水垢の香りがある。併し私のその頃にはそれにもまして懐かしい想い出の数々がある。野鳥の想い出とも云い得ようか。静かに目をとじて回想するとき、その折々の野の鳥達の動作、姿は勿論、木の葉のさゝやきから、陽の光、はては、それらの考を包む折りの季節までが、まるで昨日のことのやうにまざまざと想い出されるのである。「村里時雨」
そして野の鳥の少くなった今日、それらの想い出の一つ一つが今更のように貴重なものに思え、その頃の感激の薄らがぬ内に、季節を追うて記述して置きたいのである。
初秋に始まった秋は、中秋、深秋と深まり、晩秋、悲秋、窮秋ときはまって行く。
行秋ともなればもう初冬である。
私はこの頃の季節の移り変りに、今も昔も限りない愛着を感じて居る。あれ程、にぎやかであった秋の鳥、目白、ヒヨドリ、四十雀、モズ等の語れが途絶えると、村は急に淋しくなって行く。そして山里は毎日のやうに時雨れる。秋日和の日々、目白や山雀を追い廻して居た仲間の悪童達が、家にとじこもって誘いに応じぬようになると、私一人が林に行く。
さっと音を立てゝやって来た時雨が、黄色に染まった櫟の○と葉をぱらぱら落とし乍ら過ぎて行くのは見物である。晴れては時雨、時雨れては晴、そしてその度毎に遠くの山々が、朱泥と金泥の絵筆でさっと一刷したように輝き、亦消えて行く。
午后、北の空に虹のかゝるのもこの頃である。淡い短い虹ではあるが、裏淋しいこの頃の風物にほのかなあたゝかみをそえてくれる。すべてが、つめたい、淋しい美しさではあるが、身の内の深みにしみじみと感じられる美しさである。
私の少年時代はこの頃の想出の内には、忘れることの出来ぬ一つの感激がある。それは「カシラダカ」との出合である。私はその日いつものやうに楢の木漏れ日を追うてひらひらする秋蝶を追い、どんぐりを集めながら一人林の中を歩いていたのであるが、突然あちらからも、こちらからもおこる細いツ、ツ、ツの小鳥の啼鳴に驚いて立留ったのである。
それは今迄に聞き馴れている「頬白」のチチ、チチでもなければ「アオジ」のチ、チ、でもない、もっと細い鋭いツ、ツである。
私は注意深かくあたりを見廻したことを記憶している。そして折柄、初冬の落日に映えた雑木の梢のあちらこちらに、頬白よりも、もっと小さな今迄に見たことのない小鳥を発見した喜びは、それらの小鳥の頭の毛が一様に逆立って居たことの記憶と共に、忘れることが出来ないのだ。
それからもう二十数年にもなるであろうか、野鳥知識の上では、もうありふれた冬鳥の一つに過ぎないのではあるが、今でもこの頃になると相変わらず一人林を行く。やあーお前たち、もう来ていたのかと、手を振り乍ら。
「早春暮色」
旧二月、卯の月の正節を啓蟄と云う。新暦三月五、六日頃であらうか。この日地下の虫も穴を開いて這い出すと云う。
この頃の夕暮時には、何とも云へぬ味ひがある。未だうすらさむいが、しかし、そこはかとなく和いだ大気のたたづまいに、長い冬籠りから解放されたと云う喜びがしみじみ感じられる。
子供の頃、ふところ手のまゝ、夕焼けの門辺に立って、ジーと「ケラ」の鳴くのを聞いていると、どこか遠く遠くへ行ってしまいたいやうな気持にかられたことを想い出す。
渡り鳥はこの衝動を身の内に感じて遠くへ旅立つのであろうか。高木にかゝって居た夕陽が消えるともう辺りは残照である。夕もやに暮れなづむ畑の土の黒さと、大根の白さ、そこに働いて居る農夫達の姿が目に浮ぶ。
私は最近、その頃の想ひのままに、
啓蟄の畦たそがれて立話 深石
と云う駄句を作ってみた。帰りに惜しいこの頃の夕暮れを、農夫が鍬を立てゝ立話して居ると云った情景である。
私はこの頃の夕暮れ前の一刻を、農家や薮の裏道を好んでそヾろ歩きしたものである。塒につく前のジョウビタキやアオジ、ビンズイ等が思いがけぬ処から飛び出して目を楽しませてくれるからである。
丁度、その頃である。低声乍ら明瞭に、ピンツル、ピンツル、ピンツルツルーと早口の小鳥の囀りが、あたりのやはらかい大気を振はして流れて来たのである。一体何と云う小鳥であろう。私は今迄かつて、そのやうな囀りを聞いたことがなかったのだ。静かにしのび寄る小さな胸のときめき!そしてそれがたそがれ前の夕陽を浴びて生垣に囀る小さな小さな小鳥であったことの驚きは今でも忘れることの出来ない感激である。
この鳥がミソサザイであることを知ったのは、ずっと後のことであるが、其後絶えてそのやうな囀りを聞いたことはない。その頃では数多かったミソサザイの間もなく山へ帰る里への離別の歌であったのであらう。
標準名 方言 標準名 方言 1 カケス カシドリ 17 トラツグミ トラツ 2 ムクドリ ガラムク 18 マミジロ マメジロ 3 コムクドリ コムク 19 クロツグミ クロツ 4 ニウナイスズメ ジュンナイ 20 アカハラ アカツバラ 5 イカル マメドリ 21 シロハラ カッチン 6 ベニマシコ マヒコ 22 マミチャジナイ マユジロ 7 ウソ ♂アカウソ ♀クロウソ 23 ツグミ ツムギ 8 コカハラヒワ カハラヒワ 24 ハチジャウツグミ コウツムギ 9 オホカハラヒワ カハラヒワ 25 ジャウビタキ モンツキ 10 アトリ アツトリ 26 カヤクグリ カヤ 11 ホヽジロ ホジロ 27 ミソサヾイ サヾイ 12 カシラダカ カシラ 28 アカゲラ アカマエダレ 13 エナガ エナ 29 トビ トンビ 14 ヒヨドリ ヒヨ 30 キジバト ヤマバト 15 オホルリ ルリ 31 ツバメ ツバクロ 16 ムギマキ ジャウロウツバメ 飼鳥家専門語
ヤマガラ・シジュウカラ・ヒガラの幼鳥…シラコ
オホルリ幼鳥…ヒヨコ
エナガ幼鳥…アカメ
コマドリ幼鳥…クロコ
メジロ幼鳥…コボレ
愛鳥私見 橋本英一愛鳥精神の昂揚など口にすると何だか愛国行進曲で踊らされた時代を思い出すが、戦時中の山林の濫伐と食糧事情のための野鳥の濫獲が大いに影響して日本の野鳥の数が急激に減少をきたしたことは事実である。戦后GHQの天然資源局のオースチン博士等の主唱により野鳥の保護が一段と改革され、狩猟法の大改正となり、霞網使用禁止を始め法令違反者には今までになかった罰則に体刑まで加えられ、狩猟鳥の制限、飼鳥としては「めじろ」「うぐいす」「ほおじろ」「ひばり」「まひわ」「うそ」「やまがら」の7種に限定され、いずれも許可制であり、その他の日本鳥は特別許可の他は飼育が出来なくなった。
逐次我々の観察でも京都附近の山に於いても僅少ながらも野鳥が増加しつヽあることは同慶の至りである。然し戦后混乱状態と共に法律の厳守という点が未だにルーズであり、折角の法令が有るや無きの如き現況であり、況や狩猟法においてはおして知るべしであろう。戦前の狩猟の監督は特に警察保安課において取締全般の行政が行われていたので、末端の警察官まで良く狩猟法の徹底が期せられて居り、密猟の取締も充分に行われていた事例は多々あるが戦后の行政改革により狩猟関係の行政は都道府県の林務課に置かれる事になり、特に直接の取締に当たる警察官には未だに狩猟法の教育が充分でないように見受けられ、極端な話しのようではあるが交番の隣の小鳥屋で密猟鳥が堂々と正価をつけて公売されている現状では何とも恥ずかしい次第である。
取締も各種各方面に厳にすべきであり、単に小鳥商のみを矢面に立てるべきではないが、相対して多量の密猟による「焼鳥」は忘れてはならない。現に市内料亭に流れる「つぐみ」などは霞網禁止で、捕獲できないものでありながら、公然と食膳を賑はしている事自体が不思議である。
「焼鳥屋」と称するものを二三調査してみると「つぐみ」と称している中の大部分は「むくどり」の密猟鳥ばかりであり、羽毛をはぎ裸にして「つぐみ」と称して売り込んでいる。体形と言い、裸にすればよく似ているので素人は「つぐみ」として承知するが、嘴だけはそのまヽであり「むくどり」たることは実に判然たるものである。霞網禁止の法令が出ているにかヽはらず、堂々と広告して「鶫料理」を看板にする店、公然と霞網業者が生活する点、愛鳥精神の昂揚も仲々たいていの事ではない。「めじろ」の密猟は特に悪質であり、中学高校生が主としてアルバイト同様に附近の山で密猟して商人に売り込んでいると言う事があるが、これも学生自体に狩猟法を知らずに悪質の商人に利用されている事実であり、これらの悪質商人の取締を厳にして学校方面にも大いに指導方を依頼して善処すべき問題である。
供出米が闇に流れて公然と外食券なしで到る処で食事が出来るのと同じような状態で何日の日にか密猟がなくなることか。これも時代の致すところ時節到来まで気永に待つべきか、だが我々会員だけは野鳥の保護に陰に陽に動くことは眼前の効果は得られぬにしても決して望み無きに非ずと信じている。
をさなき鳥 川村多実二わら一すじ軒に垂れたり この春も雀わが家に巣くいしと見ゆ野鳥の寫し方 高田俊雄
まはだかの雀の雛らうち重なりけうとく黒しまなこの隆(たか)み
軒ごとの瓦の下に子雀のしりしりと鳴く春となりにけり
柿若葉ここにかしこに子雀のをさなき声すはらからなれや
釜底の飯粒(いいつぶ)まけば雛つれて雀よりくる朝の裏口
帰り来し親のけはいに雛燕 黄なる口あけきそい鳴くかも
巣立ちたる燕のむれの電線にゐならぶ眞晝夏の雲わく
おづおづとこるりは寄るに大口をあげてうながすじふいちの雛
つぎつぎに大木(おほき)の洞ゆあらはれて月を浴びをり ふくろふの子ら
湖(うみ)ちかき青田の巣なる鷭の卵けさうつくしき雛となりはじむ
大湖(おほうみ)にはじめて出でし鳰の子ら親のまはりによろこび遊ぐ
親につきて磧(かはら)にあさるいかるちどりたヾ一羽見ゆ四羽あるべきに
母千鳥かはらの石の秀(ほ)に佇(た)ちてまなこ配れり雛のうごきに
こちどりの雛いぢらしや 親鳥に 後れじものと 汀を走る
親まちて楓の枝にならび居る こさめびたきのまだら斑の雛
鴛鴦の雛をひろひて篭にこめ たヾ眺めをる飛騨の児らかな(高山市公園所見)野鳥には其種類が甚だ多い。随って其習性も異っている鳥に、普通一般的の要領は何を措いても知らなければならない。特に寫さうと思ふ鳥に対するこれらの知識がないと撮影上種々困難や失敗をしますから細心の注意を要します。
鳥は臆病なものですから梢を飛び廻っているのを寫すことは先づ不可能と云ってよいでしょう。其れ故、営巣、抱卵、育雛、の生態を担えば比較的撮影も容易となります。其の方法として、望遠レンズの使用!!隠れ場の使用!!遠方よりシャッターを切る法!!此の方法は多くの寫眞人の用うる処です。先ず好条件の場所を豫め選択して置き、そしてカメラを三脚其他安定物に取付け目的物に焦点を鮮明に合せ、紐の長さだけ退いて、鳥の其の場所に来るのを根気よく待機し適当な機会を掴まえるのです。
もっと臆病な鳥の場合はトリックも必要になります。大抵の鳥類は其の周囲の極く微細な点に至るまで注意して新奇な物体にはその外観にすっかり慣れてしまうまで決して近寄ろうとしません。従って見たことのないカメラ等を見れば怖れをなして余って来ません。この場合は模擬のカメラを数日間其のまヽ放置してから様子を伺い眞の撮影に取掛る場合も多いものです。隠れ場の小テント(ブラインド)を作り其の周辺に樹の枝や葉等にてカムフラージュの上同様放置し充分慣らしてからブラインド内の小穴よりレンズを覗かせ観察しながら撮影も出来ます。
斯様な方法ですと、映写撮影も可能となり降雨中でもフィルム及カメラやレンズの取替等も容易となり長時間の生態写真も思うまヽに楽しむことが出来ます。
第2号は、まだ続きます。
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