京都野鳥の会/資料室 5

『三光鳥』  第5号(昭和32年12月20日発行)
比叡山探鳥   北島瑠璃子

山の院に小鳥の囀り聞くこともわれの小さき日常の中

盲学校の子ら叡山の宿院にひざつき合わせ打ちいる点字

子供らの中に座を占め橋本先生の鳥の生態を聞きもらすなく

万葉の歌語る人らの声高し山の夜更けをいつまでつづく

頬白の杉の梢に啼けるみちマイクロウェーブの反射きびしく

                    歌集「緑の椅子」より

ロビンの日記   佐藤磐根
 1957年5月16日午前4時、シアトル飛行場を出たときの印象を忘れることができない。
 赤紫のあけぼのの空、こんもりしげった小さな丘、ツルバラの垣根、そこには小鳥の声が一杯だった。一瞬立ちすくんで耳をかたむけた。ロビンにちがいない。
 ロビンの歌だ。何の屈託もない小供のうた声のように朗らかなさえずり、これがアメリカ第一歩の印象だった。
 アメリカン・ロビンが日本のコマドリとはちがって、ツグミの類であること、ごく普通の鳥であること、そして小供の絵本やリーダーによくでてくる親しみやすい小鳥であること、これが日本からたずさえてきた私のロビンの知識のすべてであった。
 雪をいただいたレニアの秀峰が朝日に輝く姿は美しかった。
 プルマンの飛行場から郵便車にのせてもらって家禽学教室へついたのは昼すぎであった。昼食時間でどの室にも人影が見られなかった。前の草原に出て腰をおろす。附近に二三羽の小鳥がいる。ネヅミ色の背広に赤いチョッキの胸をふくらせた伊達な姿。
 ロビンだ。目の前の柵にとまって、間近な人影にもおそれず、しきりにさえずっている。他の一羽が芝生をつつきまわっている。二三度つついて、ぐっと胸をそらしたらミミズがくちばしにぶらさがって出てきた。
 かつて比叡山の森の小径でトラツグミがミミズを引き出しているのを双眼鏡の中にみたことがあった。肢を支点にして体をぐっとそらすその姿勢、動作が全く同じだ。
 私はアメリカン・ロビンがツグミの類であることを体験した。これだけが滞米第一日に得たロビンの知識である。
 二三日后に私は本をひらいて、あの日の朝シアトルで開いたロビン(NorthWestern-Robin)と昼すぎにその姿をみたブルマンのロビン(Western-Robin)とは同じ種であるが地方変種として区別されていることを知った。
 緯度の高いこの地では夏至近くになると夜のあけるのが早かった。午前2時半頃には、他の鳥に先んじてロビンが一斉になき出す。とてもベットの中にじっとしてはおられない。戸外に出ると、まだあけきれない朝やみの中にリンゴの花が白くうき出ている。
 私は Pyo chyo Pyo Pyo と四節にくぎった歌声にきき入った。やがてロビンの一斉のコーラスの中に丘の上の時計台に朝日がさす。まだ3時一寸すぎ。室にかえって窓を開き、再び床にもぐってロビンの歌をききながら、まどろむのが常であった。
 私のすまいサウス・ハウスの前に二本のエルムと一本のウイローの大木が立っている。枝がひくくたれさがっていて、その下の小径を通る折には頭をさげなければならない。毎日この下をくぐって教室へ通った。
 ある朝私はエルムの梢にはさまった小鳥の巣に気付いた。その日のかえりに赤いチョッキ姿の親鳥を巣の上にみて想像通りそれがロビンの巣であることを知った。
 ある日曜の朝、親鳥のいないのを幸いにエルムの梢によじのぼって巣の中をのぞいてみた。青い卵が四つ、一寸だけ卵にふれてみたい衝動にかられる。ふと首をあげると、すぐ前の屋根にロビンが一羽じっとこちらをみている。親鳥だ!!不在中にその巣をのぞきみた無礼をはじて早速梢を下りた。二三歩あるいてふりかえると、もう彼女は巣の中に座っている。彼女は私が巣を荒らさないことを知っていたのだ。ただ私が梢を下りるのを待っていたのだ。そんな気がした。
 私はロビンの巣が飼猫におそわれる話をよんだことがあるが、それはあまりにも当然しかもしばしばおこることであろう。本来は森の鳥であったロビンが人里にすめば野獣の害はまぬがれるが又新しい敵の現れるのは悲しいことながら、ここでは人が彼女らの敵ではないことが何よりもうれしかった。
 私はこのエルムの下を毎日四回ずつ通った。朝夕の他に昼食のゆきかえりにも。ある朝チーチーとかぼそいなき声をきいた。雛がかえってからの親鳥の餌はこびの努力はめざましいものであった。私はしばしばとなりのエルムの幹に身をひそめてロビン一家を観察した。その頃の私の日記には毎日必ず一二行ずつはこのロビンの記録がつけ加えられた。はじめの間は巣に親鳥が座るとわずかにくちばしと尾の先が見えるだけであった。しかし一週間后には親鳥の頭と尾が巣のはしからのぞいた。二週間后には親鳥の胸の赤いチョッキがみえるようになった。三週間后には親鳥は巣の上にまるだしになって座っていた。雛の容積がふえると親鳥がそれだけ上にもち上げられるわけである。雛の数はほんの一寸と梢によじ上るだけでかぞえられるのであるが、私にはそれができない。親鳥の真剣さが私の一寸とした好奇心をゆるさなかった。
 6月29日の夕方この夏はじめての雷雨があった。毎日午后7時からKWSCプルマン大学放送局の番組は古典音楽の時間、その日の夕べはベートーベンの「田園」の全曲であった。丁度嵐の曲に合わせて外でははげしい雨と雷鳴、私はこの偶然の一致をよろこんだ。しかし曲目の嵐が晴れて和やかなメロディにうつっても、屋外の嵐はつのる一方であった。雷光のたび毎にガーガーとラヂオにすさまじい雑音が入った。そして嵐はふるえているエルムのシルエットが黒く雷光の中に浮び上った。私はふと、このはげしい雨にたたかれながらじっと巣の上に座って雛を守っている親達の姿を思いうかべた。私は落ちついて音楽をきいていられないような不安にかられた。しかし私にはこれといって救いの手をのべる手段のないのがもどかしかった。
 翌朝は爽やかな夏の朝だった。しかしエルムの下に一羽の雛が泥によごれて死んでいるのを見出して、何んだか私の責任であるかのように思われてならなかった。その日の夕方親鳥の不在を幸いに、私は再度の無礼をあえてして、雛の数が僅かに二羽であるのを知った。最初の卵は4つあった。雛の一羽が死んだ。もう一羽は?卵が一つかえらなかったのか、または私の知らないもう一つの悲劇があったのか。雛が巣立ったのはそれから二三日后であった。
 7月に入ると芝生の上に今年の幼鳥の姿がみられるようになった。体は親鳥よりほんの一まわり小さいだけであるが、胸の赤毛がなく茶色のまだら模様のエプロンをかけて、チイチイと幼い声をあげていた。餌をあさる動作もたどたどしくて、思わずほほえまれることもしばしばであった。その頃には親鳥の歌はもうあまり聞かれなかった。
 プルマンの夏には雨がほとんど降らない。広い芝生をもった大学では夏の間の手入れが大変であった。芝生を刈り込んだり、水をまくのに沢山の学生がサンマージョブにやとわれた。噴水台(スプリンクラー)というものをここにきて知った。水道のホースにつながれた台の上の水平な四本の水口が水流でゆるやかに回転しながら水をまきちらすのである。学生は絶えず見廻って噴水台の位置をすこしずつずらして、芝生の全面をうるおすのである。野原の雑草さえも乾いて枯れてしまう夏の間、噴水台は小鳥達の絶好の水のみ場になった。それに水をすった芝生はミミズを引出すにも具合のいい所である。
 噴水台のしぶき中に水浴しているロビンの姿は私には面白い写真の題材であった。
 私も噴水台のしぶきをあびながら何度もシャッターをきった。私にはこの図にかき入れる詩があったのである。

 驟雨の中でうたっているね、ロビンよ。
  お前はきっとみているのであろう
   雨の彼方に美しい空を、
  そして夜の彼方にあかつきを。
          (エドワード・シル)

 Singing in the rain robin?
Thou must have insight
Beautiful Skies beyond the Shower,
And dawn beyond the night, (Edward R Sill)

 9月18日、日本では丁度お彼岸だとゆうのに、ここでは今秋の初霜、ひさしぶりの昨夜の雨は州の北部では半吋の積雪、ことしは冬が早く来るとゆう。
 あれほど多くいたロビンの姿がみられなくなってしまった。もう南へ旅立ってしまったのかしら。午后学長邸の庭の繁みに沢山のロビンが終結しているのをみた。これは木の実の多い所である。しかし彼らの姿が見られるのも、もうここ二三日だろう。
 10月5日土曜日。あけがたの雹と小雪はやがて雨にかわった。
 ウィローの落葉がさびしく雨にたたかれている。この一週間毎日雨を見ない日はなかった。私は太陽の光にあこがれた。
 9時30分ラヂオのスイッチを入れる。毎週この時間はのがせない番組、オヂュボン協会提供、コルネル大学録音の“Songs of the Wild”である。
 今日の録音はまずロビンの歌ではじまる。眼をとぢると、あの明るい五月の陽光と白く輝く雲と、リンゴの白い花が目の前に浮かんでくる。
 ロビンの歌はやはりいい。一番平凡かも知れないが、明るい親しみやすいメロディ。
 私は窓外の冷たい氷雨をしばし忘れた。
 暗い冬の彼方に明るい春の光をみた。
(在ワシントン州立大学)
Northwestern robin(Turdus migratorius Caurinus)
Western robin(Turdus migratorius Prohinguus)


鳥類の夜間視覚と感について   宮城正吉

 “鳥目”という言葉が昔からあるが、「鳥は夜間になると本当に目が見えなくなるのであろうか」、これは良く私たち薄学の者が寄ると口にする疑問であり、話題になる言葉でもある。
 さて学者は、「夜の鳥も矢張り人間と同じ程度に闇夜はとも角月夜には行動の出来得る位には見えるのだ」。と言明をされ、又それが証拠のように渡りの季節になると多くの野鳥研究者によって彼らの月夜に飛翔することが目撃確認されています。又これは別に渡りの候でなくても“ホトトギス科”の鳥が夜間さえずりつゝ飛翔していることは周知の事実でもあります。
 過般私はさる野鳥懇談会の席において丁度その鳥の視覚の話が出“すずめ達”が夜間竹藪等の休眠地にある時仮にこれらをおどし飛散せしめたとして後刻一定時間を経って再び見るならば、彼らはまた、もとどおり帰り来て休んでいることを実験し、彼らの目は夜間に於いても昼間程度ではないがすくなからず見えると教導を受けたことがあります。鳥の目は暗闇で果して見えるだろうか。
 私共人間の場合を考えてみると仮に今までついていた電灯がふいに消え、真暗闇になって何物も見えなくなったとき、第一に明るかったときの情景を想起しつつ“マッチ”を探すなり、“ロウソク”を探すことのなすべき行動にうつります。勿論手探りで行うので時間はかゝります。しかし、どうやら斯うやら行えるのが普通のようです。この時の行動は所謂感に頼っているのではないでしょうか。
 私は私の家に数番いの十姉妹を飼育していますが、私の飼育の不手際からうっかり近親交配を行ったらしく、不幸にも鳥屋仲間でいう目に白星の入った、めしい鳥が出来ましたがこれに数回験して見たことがあります。彼らのいる鳥籠の外部から金網の目を通して細い竹の棒を差し入れ、とまり木にいる彼らの頭を軽くたたくのです。勿論物音を立てることは禁物。普通の鳥ならば竹棒をとおすまでに巣の中え、また奥に飛び逃げます。しかし、めしい鳥たちはたたかれても全くキョトンとした動作で可愛らしさを越えた同情をさえ起こさしめます。それでも他鳥同様餌も充分に食し、水浴びもし一日遊び廻っています。長い日、月の感から動いているのです。
 此処において私は私なりの結論を見出すこととしますならば、「鳥も一定の暗さには行動でき得る視覚をもつものである。そして一定の暗さ以上の暗さに達すると感に頼って行動を行うものである。」と、「それは丁度渡りにおいて発揮する彼らの本能以上の、本能を加えた感でもって。」
“サッポロ”野想記(ノゾキ)   伏原春男

 今年の春のことである。
甥のSが彼の親友のK君を伴って私の家を訪問したことがあった。K君は北海道大学の理学部動物教室の大学院学生として勉学中で、目下ヨシキリとカッコウの相関に就いての生態研究に従事している実に熱心な学徒である。鳥談数時間に及んでの別れ際に、今年の七月には札幌で日本産業医学会が開催され、私も評議員会に出席せねばならんので、その時には逢えるかも知れませんといった言葉がこの様に早く実現して、K君に色々とお世話になろうとは夢にも考えていなかった。
 7月15日、朝から北海道大学の大講堂では全国からの産業医学の研究発表が行われていた。“マイク”は伝る。「評議員の方は至急理学部二階の会議室え参集して下さい」と。ことによるとK君の研究室の近くかなと考え乍ら集合してみた。
 開会にはまだ少し間がありそうなので、私は何の気なく廊下に出てみた瞬間、偶然に顔を合わせた一人の青年がはからずもK君であったので、お互いに不思議な邂逅に驚き乍ら午后の探鳥案内を約して別れた。
 午后K君の案内で北大構内の農場を巡ることにした。早速とエルムの梢からカラフトカワラヒワの声がきこえてくる。葦原ではオオヨシキリが盛んに鳴く。この湿地にはバンが雛をつれているのが見られますよとの話だったがその日は残念乍ら姿を見せなかった。
 農場は実に広い。私はひととき大陸に解放された様な気持ちになった。ポプラ並木が実に印象的である。カッコウがやたらに多い。K君は各個体の声をよくおぼえていてあの鳥は少し音痴なのですよとの説明を聞く間にもカッコウがまるで鳩の様に右往左往、短い北海道の夏を百%利用して仮親の巣さがしと交尾に忙しい限りである。
 あちこちでオオヨシキリは盛んに鳴いている。
 K君の話では、オオヨシキリの巣のカッコウの託卵率は50%以上だということである。これではオオヨシキリもたまったものではない。然しカッコウらがいなければ、オオヨシキリが鳥口過剰で却って自滅するかも知れないから、カッコウのお蔭でバランスをとっていると考えると却って恩鳥かも知れない。但し悪童達の巣荒しさえなければ。
 刈り取ってつみあげた牧草の山の上でホオアカが鳴く。ほとんどホオジロと区別のつかぬ声をした個体なので眼鏡でたしかめるとやはりホオアカだ。突然オオヨシゴイが前方をかすめる。
 やがて試験馬の放牧柵に近づいたが、ここにはニワトコが赤い実を結び、雪の様にオニシモツチは今花盛りである。突然トッピンカケタカとオニシモツケの中から待望のエゾセンニュウの声、初めて聞くエゾセンニュウの声を心ゆくばかり満喫できたが容易にその姿は見せてくれない。
 エルムの梢にはムクドリが喧しい。すでに集団生活に入っている。この辺りにはアカモズが多いが普通のモズも混在している。これらの巣は悪童達に最も荒され易いとのこと。ムクドリ、カラフトカワラヒワの巣は樹洞やエルムの高い枝に作るので割合に悪童達のいたづらからのがれ無事巣立つ率が多い様であるが、これ等が冬期に本土に越冬した場合に一番密猟者の犠牲となり、京都稲荷の焼鳥になる率が多いのも皮肉である。
 この状態を眺め乍らここはあたかも焼鳥の原料の製造地の様に思われて変な気持ちになってきた。期待したシマアオジは時間がおそく鳴いてくれないので明日の早朝を約して宿に帰ることにした。
 7月16日、早朝からシマアオジの声を聞きに出かけた。途中思いがけず道端の葦の中からコヨシキリが飛び出した。巣立ち后の雛をつれているので親鳥がやかましいことである。この巣はK君の説明によると二階立ちになっていて仲々面白い。
 目的のシマアオジの蕃殖地にやってきた。広い牧野のあちこちからフィーフィーフィという声がきこえだした。
 満州できいてから十五年目、湖南省長沙できいてから十二年目、私の大脳皮質の奥からほこりまみれになって引きだされてきた古い記憶と現実の情景とがごっちゃになって、急になつかしさとうれしさとが一時にこみあげてきた。双眼鏡にうつる黒い胸、黄金色の腹。終日この牧野にねころんでシマアオジの声をきゝ暮らしたい気持ちで一杯だ。
 愛すべきシマアオジよ。永遠に渡りの経路を日本列島にとるなよ。いつまでも大陸に渡って南下し給え。日本列島にはお前の美しい姿をみたらカスミ網で捕らえようとする悪人共がうようよと待ちかまえているんだから。
 この牧野にはノビタキ、ヒバリ、ホオアカも仲よくすんでいるし、マキノセンニュウもいるとのことである。   未完

○ワシントン便り○   

 コルネル大学アレン教授が録音自動車でアメリカ全土の鳥の声の採集の録音テープはレコードになっているものだけは購入して帰ります。アレン教授撮影の鳥のカラー・トランスペアレントも千枚近くありますが一枚一ドルですから全部はとても手がでませんが、面白そうな鳥二・三○枚は購入して帰ります。(佐藤磐根)
すずめ   松本貞輔

 去年の五月でありました。小学校三年の末っ子の貞和が、孵化後二三日と思われる雀の子を一羽貰って来ました。今更どうにもなりませず、子供に育てさせれば動物に対する愛情も深められることであらうし何れ親になれば又その時はその時でと云った位の軽い気持ちから飼い始めた子雀は、いやはやその日から予想外の家族一同の寵を一身に受ける身となりました。
 その筆頭が妻のユキ子で、大きな二頭の英ポインタの管理には苦情を云ひ乍ら、人の気配にさえも餌をねだるこの子雀に対しましては全く別人になって、終日をつききりと云ったその子供らしい愛情の振りまき方には驚いたのでありました。
 当時はまだ予備校通いの長男の貞昭も、高校一年の娘の孝子迄が加って、夜には一団となってkの子雀を畳の上に取り囲んでの愛撫の集注は、這えば立て、立てば歩めの親心そのまゝに、日を重ねたのでありました。
 こうした成鳥となりました雀は、朝昼晩と一家菜食の飯台に愛嬌を振りまきまして、頭上に砂浴?するかと思うえば肩に止って口辺の食物をねだり、箸につかまってはその先端の米飯を採り廻り、食足り、遊び疲れると、懐に這入って眠りこけると云った塩梅で、彼又家族の愛情に対えての立居振舞は、真ににくめない腕白小僧の我が愛児と云った観がありました。
 さて、この雀の餌料につきましては、幼鳥時は四分餌を給餌しましたが、長じてからは十姉妹用の混合餌を主体に、野外観察によって雀の好みますヱノコログサやヒエ等を穂そのまゝ差し入れましたが、口うつしでは魚獣肉を、時には叩き取った蠅を給餌したのでありました。
 手のくぼみを好んで飛んで来て、頭を撫でると眼をつむっていつ迄も身動きしないこの雀を通しまして私は、又彼の習性について身近に色々と観察し得たのでありましたが或日のこと、妻が、雀自身籠の落し戸をこぢあけて、自由に出入することを発見いたしました。
 親になれば自由の天地にかえらせてやることを申し合せておりましたものの、断ち切れぬ家族の愛着につい引かされて、せめて愛鳥週間迄は…と云うことになって以来籠の戸の上に重石をおいたのでありました。
 重石のある間は試み様ともせないこの雀はこれを取り去ると同時に嘴で戸を上にこじあけて飛び出す様は、全く感心の至りで、何のはづみからこんな知能的な特技を習得したものやら、来宅の方々もみな驚かれるのでありました。
 よく家に来られる毎日新聞の辻田氏の奥さんが「これは愛鳥週間の特種に、是非共主人に…」との熱の入れられ方でありました。
 その愛鳥週間を間近に迎えようと云う五月の五日、夕方帰宅いたしますと、“雀は飛び去りました”との妻の言葉でありました。
 窓をあけ放した室内で、給餌後重石を忘れて外出した妻の一時間の留守中の出来事ではありましたが、雀は矢張り自然えかえって行ったのでありました。
 春の深むにつれて窓近々とさえづる同族のうた声こそは、あまい恋のささやきであったのでありましょう。眠れる彼女の春情を呼び立てているのをうすうす感づいてゐましただけに私は、実に情を知らぬ人間的な愛撫でありましたことを罪深く思うと共に、今こそ遅ればせながら、尊くも楽しい天与の繁殖への喜びにひたってゐるであろうと頬笑ましくも想っているのです。
 尚、この雀は成長後上嘴の先端が針の様に細く長く伸びましたのを、三度鋏ではさみ切ったことも興深いことの一つでありました。
 本年又五月の或る日、貞和が又々生まれたばかりの子雀を一羽貰って参りました。
 自然にかえって行った雀に結ぶ愛情が断ち切れぬそのまゝに、次の子雀にその愛情の程をつなぎ止めたい現れの行動ででもあったのでせうか。叱りもならずそのままに、又々一家揃っての哺育が始まりました。
 この雀も又順調に成長いたして参りましたが、ふとしたことから中がえりの特技を始め出したのには驚きました。
 両脚で止り木を握ったまま、前に伏せてくるりとかえいるのですが、一回、時に二回連続と繰りかえすその可愛い動作については、野外の同族についてはついぞ見かけもせぬことでありました。
 漸く夏らしい日の続く日でありましたが、貞和が食べるにまかせて与えた蠅の過量がたたったものでありましょうか、この子雀は三ヶ月に満たぬ生涯を了ったのでありました。
 可哀想に……
 今百日草の乱れ咲く畑の無花果の老木のもとに、かつてヒラリヤに斃れた二頭の愛犬の朽ち果てた墓標の蔭に、静かに眠ってゐる子雀の霊に、家族の誰かが次々に供えてたえぬ一輪の草花を眺めて私は、一鳥一獣の生命の尊さを思い乍ら、そしてその冥福を祈ってゐるのです。了


野鳥雑詠 大和の鳥 近江の鳥   川村多実二
飛鳥野ににねもす鳴けり家持も芭蕉も聴きしひばりの裔ぞ

鴟尾光る大仏殿の空高くとび群れて舞ふ小春日の昼

御陵の池に小春の日を和み眠れるまがも水脈曳くごかも

夢殿の石きざはしに朝霜をふみてあゆめりせぐろせきれい

眼もて追ふ比良の森過ぎ野をこえて湖わたるおほわしの影

竹生島森のしらさぎ音もなく出でては帰る春のゆうぐれ

白髭の鳥居の沖にあび一羽ふと浮かびたり朝靄のうちに

山の尾にはと鳴く声す日吉の宮楼門の前に口すすぎ居れば

干拓に安土の沼は亡せたれどせっかなほ居てひひと鳴くなり

杉むらは雨にけむりて赤翡翠の声に暮れゆく横川僧房

後になり先になりつつ梅雨晴れの芦田にあさる雌雄のたましぎ

秋たちぬいざ見にゆかな近江のうみ舟木の磯に群れし千鳥を

あふみの国安曇の大崎秋たけて晴れたる空に雁鳴きわたる

近江のうみ磯のみさきの波の上にこがも来群れぬ秋風のままに

冬さればむくどりあまた来て憩ふ野洲川ぞひの薮の高槻

われに怖ぢて飛びしほゝじろ川の州の野茨にゐてわれを看まもる

近道すと凍田の細き畦ゆけばひばりおそれて次々に翔つ

高穴穂の宮址のあたり冬枯れて水無き川にいしたたき飛ぶ

ひとり来て山田の溝の薄氷に餌とめなやむほほあか悲し


コウノトリ観察記   高田俊雄
 一昨年の6月中旬兵庫県のコウノトリの撮影を想ひ出し丁度入洛中の資源調査研究所勤務の弟を伴ひ気車を姫路駅にて乗り替え舟津村の友人小林平一氏に詳細を伺ふ可く訪問せしにあいにく不在にて意を得ず不安ながら目的地の鶴山へ着き尋ねました処鳥の数も減り昔はこの附近に茶店まで出来る程賑やかな有様でしたが今は此の土地の昔語りとして知らない人達の多いのにも驚かされ不明のまゝ一泊の上漸く翌朝になり山陰線の八鹿方面に営巣所を知る事が出来ましたが梅雨期のため折柄の降雨に撮影も出来ず無念帰宅しなければなりませんでした。
 次いで天候回復を待ち今度は山陰線の八鹿駅に下車しハイヤーに乗り伊佐の村を通り重いリックやブライド望遠レンズ等を運び幸い野鳥に造詣の深い中村巡査の案内を得て約一里程にて目的の山上に辿り念願の生態を心ゆくまで観察する事が出来ました。
 巣は丘陵の上の高く突き出た松の木の頂上に沢山の枯枝等を集め直径四尺以上に達する厖大なもので親鳥は三月中旬巣ごもり三個を産下したが孵化した雛は一羽のみで約二週間程になるそうです。
 育雛の期間は頗る長く七月上旬頃迄で雛は巣の中に留って居り此の長い間親鳥は始終あたりの水田とか河畔を渉って爬虫類、小魚、鱒等を捕って来ては哺育に専念いたします。
 巣は古巣を利用し大抵二三年目に新しく作り変えるそうです。
 この鳥は他の鳥類と異り決して声を出すことが無く大きな嘴をカタカタと小刻に合わせ音を立てつゝ警戒と愛情を現わして居ります。
 この地方は四方山に取囲まれた盆地であり底となるべき土地は殆ど水田でありのどかに晴れた大空に長い首を伸し白い姿で悠々と舞ってゐる姿は自然の風景と合わせてゑも云われぬ壮観さであり吾々を心ゆくまで喜ばせて呉れました。

録音部こぼれ話   倉嶋  暢
 こういう映画があった。
 時代は元禄。場面はさる御殿。奥女中を粧って入った隠密が庭にかくれて殿様の話を聞いている。廊下には立派な鳥籠が置いてある。殿様の大切な話のところになると、ウグイスが大きく鳴いて聞きとれない。
 さてウグイスの鳴声が必要になった。
 聞きとれないほどの鳴声ならケキョケキョとあの谷渡りがよいだろうと云う事になったが、野生のウグイスもまだ鳴きださないだらうし、小鳥のこととなると悲しいかな全くの素人、さてどこえ行ったらよいウグイスがいるものやら、揚句の果ては動物園へ電話をかけたが、
“さあー”の一声
“しかし、たしか四五日前の新聞に出ていましたよ”との話しに今度は新聞を探しあるいて、やっと見つけたのがウグイスの好きな某氏。早速にお伺いしたところ心よく承知して下さった。さてウグイスの谷渡りと云うところまで話がくると、
“一寸待った。谷渡りと云うのは野生のウグイスのもので、これを御殿などで鳴かすのはおかしい。また十数年前に観た映画に野外の場面であるのにお座敷ウグイスが鳴いていた”
と話された。
 こうなると成るほど成るほどと云う外なく結局某氏飼育中のお座敷ウグイスを録音させてもらい映画に使用した。今もその鳴声の録音テープは大切に保存されているが、「このウグイスの鳴声はお座敷用につき野外用に使用すべからず」と大きく書いてある。
 また、こんなシーンがあった。深い山の中、丸太で組んだ原始的な小屋。その軒下に、太い枝で作った鳥籠がぶら下がっている。
 カメラがずっと後に移動して行く。此の間約三十秒、鳥の鳴声の注文である。
 撮影に使ったのはウソが二羽。まさか洋鳥の声は入れないまでも。先のウグイスでこりごりだから早速その二羽のウソを借り受けてマイクを据えて待つこと久し。仲々鳴いてくれない。陽が暮れれば寝かすなんて暢気な事は云っていられない。電灯をつけての夜間作業をしてもらう。そうなると鳥も神経衰弱になるのか、机の上に餌をちらせては、あげくの果は夫婦喧嘩をおっ始めて髪の毛ならぬ羽根のむしり合いと相成った。
 鳴かぬなら焼鳥にして喰っちまうどと家康ばりにおどかしても馬耳東風。完成の日はせまってくるし、愈々こちらの負け、とうとう比叡山の現地録音となった次第。
 橋本会長にお教へ願った無動寺の谷に行くべく夕方までに根本中堂についた。
 夜明に目的地に行くつもりだったので知らない山径、しかも「無動寺谷」なんて字を見ただけでも、どうも怪談じみて気味が悪いので、一休みする間もなく下見聞に行っておいた。
 夜になって宿院のお坊さんに夜間の鳥の鳴声が聞えるかとたずねると
“きうりもみと云いましてね、キリ、キリ、キリと鳴く声が聞けますよ”
との話、何の鳥だかさっぱり分からないままに、窓の外に集音機を出して待つ。六月とは云え、海抜800米の山上では寒気がひしひし身にせまってくる。
 十二時近くなると、きうりもみなる鳥の声?が聞えてきた。早速に音の来る方面にマイクを向けるが、どうも宿院の前の大きな杉の木の上にいるらしい、ギチギチギチギチとにごった声が聞える。悪いきうりもみだと思い乍らも、そのボリウムからして、虫の声でない事だけは分かるが、とにかくも第一声だから録音して置く。
 午前二時すぎ夜の静けさを破ってホトトギスが鳴きだした。テッペンカケタカと鳴くのとテッペンカケタと語尾を略すもの。カケタカと簡単に鳴くづぼらな奴、遠く近くに聞こえるホトトギスは、こんなに鳴き明かして一体いつ寝るのだろうと不思議に思う。
 午前三時半宿院を出発。無動寺谷に向った。夜は明けはなれてゆく。真黒な杉のシルエットの向うに琵琶湖が灰色ににぶく光っている。ケキョッと一声ウグイスがアクセントをつける。目前をリスが走り去る。無動寺谷へ来た。ツツピーツツピーと可愛い声が聞ける。これはヤマガラだなという事だけはわかる。少し離れた所でツーピッツーピッと楽譜を反対にしたのが聞える。これは変奏曲だなと思う間もなく、この谷は一大交響曲の演奏場と化した。
 ウグイスのフリュート。アカゲラが打楽器をたたく。遠くでホルンが聞えるのはツツドリか?カケスが時折不協和音をさしはさむ。恍惚とする何十分かがすぎた。朝日が真横からさしてきた。
 遠く大津あたりの工場から街の音が聞こえだす頃、一つ減り、二つ減り、「さよならシンフォニー」となって消えて行った。
 今迄は小鳥の声の録音は小鳥屋さんで!
と思っていた私には初めて野鳥の声の魅力がわかった様な気がする。
 さて録音して来たテープの中から、一番近い音を前の場面に使ってみた。
 バックに種々な鳥が鳴いているが、大きい声は籠の中の鳥。バックの鳥の鳴声は他で鳴いている鳥と勝手にきめた。
 映画を観た人達にはどの様に聞いて頂いただろうか。
 学術的に鳥の声を収録して研究する場合なら少し位いの雑音が入っていても、又異なった鳴声が混っていてもあまり差支えはないだろうし。又わかり難い場合はこれに解説も加えることも出来ようが、映画の場合は、そのものずばり。の声がほしいだけ困ってしまう。
 ともかく今の私には、いろいろの野鳥の鳴声がほしい。

◎編集者註
 キュウリモミと称する鳴声は「むささび」の仔の鳴声だろうと推察します。
 筆者は大映京都撮影所録音部勤務です。

秋の住吉浦      浜畷慎吾
 住吉浦のシギ、チドリに就いて今秋の渡りの状況を表にしてみた。しかし私は目下の所まだ種の判別に自信がなく、それの勉強中でついでに数を数えたと云う程度のもので継続観察と云えるかどうか。此の観察が私の会社の仕事の都合で中断して尻切れトンボになったのは止むを得ないとは云ふものの残念である。これも同好の士の僅少の故であり、つくづくと組織だったものが欲しいと思う。
 観察は7月24日より始め9月26日で中断している。大体平均して3時間ほどの観察時間である。断る迄もなく此の表の数値は絶対的なものではない。此処に掲載した表は原稿の締切り間近かになって大急ぎで作製したもので私はこれについて種々な考察をしている暇がなかった。が一つ云へる事は新浜(東京)に比べて数が話にならぬ程少ない事である。で今回は観察の中間発表と云う事で此の責を逃れたい。そして思い出す鳥達に就いて漫筆を進める事にする。
 どんな鳥によらず初めて見た鳥とか、稀種或ひは其の年になって最初の鳥を観察した時は何とも云えず嬉しいものである。チュウシャクシギ、トウネン、ハマシギなどの極く有りふれた鳥達でも「本年度初認」の記号を付ける時は、長い間逢はなかった友達に逢った様ななつかしさと面映ゆさがある。
 アカアシシギなどの稀種などはもう夢中になって干潟の中を泥を背中の方迄はね上げて追っかける。啼声はアオアシシギに似ているが少しかすれた様な声である。そしてよく啼く。飛び立った時の翼の白帯と上尾筒、腰の縦の白色部が目立ち。脚の赤も順光線の時は鮮やかできれいである。
 オオソリハシシギ。私は最高13羽の群しか見ていないが、此の鳥の夏羽は見応へのあるものである。他の鳥の観察に夢中になってゐる時、頭上を「クェックェッ」と啼いて通ると「あっオオソリだな」とわかる程声に特徴がある。オグロシギとは飛び立つときとか舞ひ降りる時、尾の模様で見分けるのが一番確実だと思ふ。嘴だけでは曲がっている様にも真直ぐな様にも見えて困る時がある。然し熟練すればそうでもないのかも知れない。
 トウネン。秋に来る幼鳥は、何時かも川村先生が新聞に書いておられた様に人を恐れないから可愛い。人間の恐ろしさを知らないと云う幼稚さと、其の姿の小さいのとが相俟って「果してこんな世間知らずの子供が遠い国へ旅を無事にすることができるのかな」と危惧する。
 今秋はダイシャクシギもホウロクシギも共に昨秋に比べて急減して張り合ひ抜けがした。ダイシャクシギは延7羽、ホウロクシギに至っては僅か2羽である。
 メダイチドリも亦オオソリハシシギの夏羽の色に似てきれいである。♂は特に美しい。ゆったりと落ちついた気品ある動作で小型チドリ類での貴族に列する事が出来よう。春より秋の渡りの時によく夏羽が見られる。
 私はよく鳥にアダ名をつける。例へばチュウシャクシギは地味で数が多い所から労働者、ダイシャクシギは動作が優雅で腰の純白が清潔だし、亦体全体が白味を帯びている所から貴族。ホウロクシギは大きさこそダイシャクシギと変わらないが、薄汚れた感じがあるので斜陽族。キョウジョシギは飛翔時頭部の黒いのが目立つから泥棒の頬かむり。ソリハシシギはコマシャくれた子供。アオアシシギはポニーテイルヘアのマンボ娘。又カケスは品のない声とケバケバしい色どりだから闇成金。などつけて行けばきりがない。
 次に住吉浦のベニスズメの営巣繁殖確認を御報告して筆を擱く事にする。
 巣卵の発見は本年9月16日。巣材及び巣台はチガヤ巣の大きさは小鳥屋に売っている藁の単位で形も大体似ている。入口は小さくて真横についてゐる。卵は6つで色形大きさは十姉妹のそれに全くよく似てゐる。
 10月5日には二雛孵化し二卵残り二卵はなくなってゐた。此の時の雛は産毛の生え具合から見て二日乃至三日位でなからうかと推定した。9日は二雛のみ残って卵はなくなっていた。11日の朝早く起きて自転車を飛ばして住吉浦へ行き、後に述べる様な理由から巣ごと二雛を採取した。雛はグロテスクな感じで口中と口辺には黒斑があり、「ギーギー」と虫の様な声で啼く。一羽は右眼がつぶれた様で少し元気がなかった。餌は鴬用の練餌を与えた会社でも大体三十分毎に給餌したが、よく喰べた。が12日の朝元気のなかった方のが冷たくなってゐた。その日の夕刻より又山行きでリュックをかついで、サイドポケットへ雛の箱を入れて夜道を歩き、途中で野宿した際夜の底冷えでこれ又続いて死なせてしまった。「これは飼鳥の野生化したもので純然たる野鳥じゃないから」と気休めをしてもどうも気が重い。
 その採取した理由と云うのは私の仕事の都合で住吉浦へ行けなくなった事である。従来通り随時観察に行けたらブラインドでも立てて食性でも見ようと思っていたのであるが、秋になって日が短くなれば猶更らである。そこでそれじゃ一層のこと自分で育ててやらうと思って採取した。まんまと私の不注意から失敗してしまった。山の大きな栗の木の下に墓標を立てた。
 仕事の事やこんな事が重なって最近住吉浦へは無沙汰しているが9月14日に♀一羽、続いて18日に二羽と早くも北の国よりやって来たコガモを観察しているが、シギ、チドリ類、オオヨシキリ、ヒクイナ、バンの渡去や、セッカ、カルガモの育雛の終わった住吉浦はこれからヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、マガモ、スズガモ等々の鴨族がやって来て沖の岩礁はまた賑やかさを取り戻す事だろう。(了)

昭和32年秋季住吉浦に於けるシギ・チドリ類の渡来表
種名 / 月日7/248/13781320232628309/1312141617182126
キョウジョシギ442711 512841493118 2211   
ダイゼン      1 95543 61 1111
オオソリハシシギ        342     1  13
トウネン2501001661213213948038019029010078356035163050
ソリハシシギ2996 16 119281187107     
キアシシギ114615821111301051511 53     
チュウシャクシギ2814427204137184819235516312116173753
ホウロクシギ1       1           
メダイチドリ 35  2 266183526411  
ハマシギ  1  2  25 14 1  21 11
アオアシシギ   595242333   2223 
ウヅラシギ    1  15  1 1  12  
アカアシシギ      1             
ムナグロ      1  2533       
オグロシギ       11 3         
ダイシャクシギ        21 21 1     
オバシギ         2 11617765 1713
キリアイ             12112  
タシギ              2103 7 

無 題   堀田光鴻

 ここ二三年仕事のため京都にいることが多くなったため京都支部にお世話になっています。
 相変わらず暇な時には鳥や野生の花、その上この一二年は風景、雲のエフェクトなんかにどうしたものか非常に面白さを感じまして描いています。
 子供の頃から約五十年いつも自然と絵を楽しんで来ました。内外共可成り多数の鳥画を見ましたが、自分はどの先生にも就かずに勝手な道を行っています。三四回各地で個展をやった事もあり、多数の下手な絵をならべた事を、よくも大胆にやったものと今では思っています。若かったためでしょう。
 アメリカ、欧州諸国の方からも鳥画の本は大分もらいましたが、これと云って新しいよいものはなく、やはり英の(鴨、雁)タルボットケリー米のルイアガンスフユルラス(主としてイラストレーション)今日の人としては、アトランタの森に住んでいるメナボニなどと思います。
 北欧、中欧の人の描いた鷲、雁にはクラシックのよいものがありますが、鳥学者の側からは絵かきの鳥を自分の側のみから見て批評されますが、一寸とこれは酷です。しかし余り絵かきの味方にもなれませんと云うのは、よく知った鳥は絵筆でいかに減筆され、どんな時にも、その鳥であることは一目で分かりますが、どう考えても分からない鳥があるのは何か淋しい気もします。
 日本画の絵かきさんが、よく写生をかしてくれと云いますが、いかにでたらめの珍種を平然と描く人でも、自分の心の中には自然のものを求めているのでしょう。そう云っても図版は図版で芸術的意味はありません。空気を通じた鳥や花でなくては駄目だと思います。
 この六月でしたか米国オージュボン・ソサイテイから一人の鳥学者が来られまして、二三日雨の中を探鳥や植物採集に参りました。
 洛南ではケリが約15〜6羽を、保津川では珍しくヤマセミ(二個体)を観ました。
 今年も宝塚の家の郵便箱に四十雀が卵を生みました。


野鳥あれこれ   橋本英一

 今年夏、美術大学に川村先生を学長室にお訪ねした折に、先生から
「上村画伯が珍しいアカエリヒレアシシギを描かれたのを拝見して、写生の画材はお宅で飼育していられる」、
とのことを承ったので、早速に拝見に及びたくなり、松篁先生にお電話でお願いしたところご承諾を得たのでお宅に参上した。
 製作で御多忙中の先生は、わざわざお暇をさいて心よくお逢いして頂いて色々とお話を伺った。
 春の渡りの頃に洛南田辺近くの木津川畔で手に入れられ、御子息と共に日夜餌付けに苦心研究された二羽のシギは元気にお庭で籠に飼われていた。
 書物などによると余り人を恐れないと記されているが、籠に顔を近づけても驚く様子もなくせつせつと餌壺の擂餌を食っている。
 図版などで見る夏羽とは少し変って、もう冬羽の支度が現れているようだ。
 見たところ二羽は夫々大小の感があるので雌雄1番ではないかと思われた。
 名前にふさわしい赤い襟の色も僅かに名残をとめている。
 動物園でもシギの類は餌付飼育が困難なのであまり飼われていないように思われるが、このようによく馴れて元気に水盤に入って嬉しそうに泳ぎ廻っている風情を見ると、これも先生の鳥えの愛情が通じたものだろうと独り感心した。
 申訳か、飾りのような跡の弁膜が私の印象に残っている。また春から夏にかけての衣替えの状態を先生の丹念なスケッチで拝見した。珍しいので是非私達グループの人達にも後日、観せて頂きたいことをお願いして失礼してきたが、その後、先生も製作で御多忙だろうと思い、又私も公私共に多忙でついに未だ御約束のようにお伺いも出来ずになっている。もうすっかり冬羽に換って、元気にお庭を賑やかにしていることだろうと思っている。
 こんな事があって後、9月13日に職場の同僚の青陽君から
「珍しい鳥を拾ったので、飼方と名前を教えて欲しい」と連絡があったので、早速逢って詳細を聞いてみると、「今朝8時頃に自転車で出勤の途上、荒神橋の鴨川通りの路上に白い鳥が腹を上にして落ちている。早速に拾い上げてみると、逃げる元気もなく、もう半死半生の状態なので、急いでふところの中に入れて温めてやって、附近の鳥屋にとびこんで、餌のことやら、名前などを聞いたが商売人も全然知らないと云うので、どうしたものか?」と考えた揚句が私の処に話しが持込まれた次第。
 手にとって見ると、すっかり冬羽になったアカエリヒレアシシギに間違いない。脚の弁膜が特に頭に浮かんできた。
 よくみると右脚が腿の所から折れて片脚なしのびっこになっている。傷口を調べるともう完全に治っている。推定では春の渡りの頃にでも猟銃の犠牲になったもののように思われる。こんな事が原因で渡りの途中に衰弱して仲間からはづれて路上に落ちたものだろう。交通量の多い路上で、よくも自動車のタイヤの下にもならず、幸いにも鳥好きの青陽君に拾われたことだけでも幸福だったとも云えよう。それにしても、この片脚でよくも今日まで生活してきたものだと感心した。すぐに擂餌を作って与えるように、又昆虫や、ミミヅなども良いだろうと思って指示して置いた。
 若し不幸にも斃死したら、死体は標本にしたいからもらう事と、幸いにも元気を恢復したら適当な時期に放してやるように約束して別れた。
 鳥好きの青陽君は一生懸命に餌を与えて、三日目位までは毎日元気ですとのニュースを聞かせてくれていたが、こちらも、つい忙しいのでその后の事を忘れていて、一週間ほどしてから思いついて青陽君にその後の状態を聞いてみると彼は申訳なさそうに、又嬉しそうに
「丁度一週間目でした。もう明日位から独りで餌も食べられるように元気になっているので夕方庭に出して運動させていたところ、一寸の間に飛び立ってしまいました」
との返事で、よかった!よかった!と二人で何んとも云えない温かい嬉しさが感じられた。
 あの不自由な片脚で今日も仲間に追いつくように一生懸命に南の空へ元気に飛んでいることだろう。
  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
 夏の終わりの頃。松竹映画が作ったワイドスクーリン。テクニカラー「大忠臣蔵」が封切りされたので観覧した。
 その時に大石由雄の山科閑居のシーンがあって、いかにも静かな山里の雰囲気が画面に表れている。庭には晩秋を思わすよく熟した赤い柿の実が二つ三つがありありと印象に残っている。
 このシーンで音響効果として、素晴らしい美しいクロツグミの囀りが何回ともなく聞かされた。
 ふと、クロツグミの声と、晩秋の季節的な取合せに不調和を感じた。すぐ後にも箱根の関所のシーンが出てくる。これも、こんもりと繁った杉木立の箱根を表すに申分ない画面である。
 物語を辿ると、このシーンは11月中旬か下旬らしく思われるが、ここでも先のクロツグミの声が聞かされた。
 いづれも効果としては季節考証が悪いのではないかと独り合点して、おこがましくも製作当局の松竹撮影所に伺ってみたところ、録音担当の福安賢洋技師からわざわざ丁重な御意見をいたゞいた。
 私と同じような気持ちで御覧になった方もあるやと思って、福安氏の御承諾を得て、氏から頂いた書面を発表させてもらうことにする。
「拝復、先日は大忠臣蔵の録音に付きまして御注意をいたゞき厚くお礼申し上げます。
 実の処、山科の大石宅の場面を仕上げるに際しましては、季節的に考えて現実の音で表現すべきが、又芸術的に考えて、この場面の感情を生かすためにも鳥の声を選ぶべきか、等々と考えてみましたが、映画でよく御承知の如く、あの静閑な雰囲気を出してくれる鳥の声は、美しくて清純な鳴声のクロツグミを以外になかったと思います。そして劇の上でも、悲しい大石主税と小波の心情を逆に楽しく呼びかうこの鳥の声で表現したかったためです。そのために季節的にマッチしなかった事は誠に残念に思いますと共に、その専門の人にはこの点お許しを願いたいと存じます。
 この作品では主に舞台的な表現を伝えましたため、和楽の鳴物等にも種々変った型を使っています。
 画家が美を表すために現存せぬ色を使い、変形したデッサンをする如く、私達もその作品が教育用教材映画でない限り特に劇の上で必要な物音等がある時は時代考証を捨ててでも使う場合があります。
 そして映画を観る人の心によりましては(季節的な受取り方ばかりでなく)宏い色々な受取方、聞き方があるのではないかと思います。
 私達は機会ある事に、高野山や富士山の近くまで出張して、ノイズのない美しい野鳥の声を収録することに努力していますのが、これもすべて街の騒音ばかり聞いていられる人達に一人でも自然の美しい野鳥の声を聞いてもらうことによって、どれだけその人達の心を和らげることか!……と思う希望があるからです。この点よろしく御推察下さいましてお許し下さいますようお願い申し上げます。……(後略)」
 以上のような御手紙を頂いて恐縮している。
 戦前の頃には録音装置も不充分だった為か劇場でも映画にも、又ラジオドラマなどにも凡て擬音の人工的な得体の知れない種々な怪鳥の鳴声が聞かされたものだが、最近はいづれにしても録音技術の発展に伴い、技術の研究向上で、野生の生の儘の野鳥の声が聞けるだけが誠に喜ばしい次第である。
 然し、それにはこの蔭に録音部の並大抵ならぬ苦労がひめられていることだろう。


編集後記   

第5号 ここまで

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