京都野鳥の会/資料室6

『三光鳥』  第6号(発行日?(記載なし))

   口絵写真


口絵解説   川村多実二

 前世紀の央頃から欧米の絵画に大変革が起った。それは従来自然界の山川草木景観、人間や動物の肖像形態、或は社会の史実、慣習、いづれも写実逼真、少しも誤謬なきを尚んだ芸術家達がそういう客観的態度を棄てて、作者個々の印象、感想或はその綜合を主観的に表現する様になったからである。今世紀に入ってはこの傾向が益々顕著となり、遂に野獣派や抽象派の様な極端な作風が起り、専門の画家ばかりでなく、初中等学校の生徒達の間にまで横溢するに到った有様は、我邦の図画教育に於ても之を看取し得られるのである。
 右の如き変動は人類の精神的進化の行程として止むを得ないのかも知れないが、他方絵画と自然科学の提携といふ点から考えると実に困った事である。例えば動物の標品を産地の環境を模した構成に置く「生態陳列」の配景を描きうる画家が絶えて後継者が養成せられないのである。この理由で現在東欧及び北欧に伝わる「狩猟画」という画風は大に注目せられてよい。
 元来欧州に於ける狩猟は貴族富豪の贅沢なスポーツであったので、猟人はその獲物を剥製にしたり、或は静物画に描かせて応接室の壁に掛け、後には猟野に立って鳥獣を覗い又は乗馬を躍らせて狐を追ふ自分の姿を描かせることが流行した。之が狩猟画の起源である。独逸の狩猟画家中には遠くカナダやアフリカに出かけてその地方の動物の生態を正確、精細に写す者も現はれたが、彼等の作品には印象派、未来派以後の影響が甚だ少く、古典派の描写の忠実さがよく現はれて居る。現在独逸に於ける狩猟画家の数は百人にも垂んとし、毎年立派な作品を公にして居るが、筆者は1920年と1934年の二回独逸を訪うた際にその盛況に驚き、自身が専攻する動物生態学との関連上甚だ喜ぶ可き動向と考えたから、帰朝後時々遅拙な筆を呵して野鳥の油絵数点を試作した。本号口絵として採用していただいた雉子の絵は1944年作で画題は「警戒」となって居る。之は東京皇居内で筆者の往く前10米位の所を悠々と道を横ぎった後、一寸停止して頸を伸ばした時の姿勢を記憶によって描いたもので、鳥体の細部は現在宝塚昆虫館に保存せられる筆者所蔵剥製により、背景は主として長野県での旧写生に拠ったのであるが、全体として欧州狩猟画家の諸作を参考としたこと勿論である。「下手の横好き」素人画家の盲蛇的駄作であるが、こういう画風を必要と信じ、隗より始めるつもりで試みたものであることを諒とせられ度い。

マミジロ考   籾山徳太郎
 マミジロの古名と方言
 この種の方言に眉と云う言葉が往々出る事があるが、これを関西弁で“マメ”を使うことが多いので、兎角シメやイカルの豆廻しや其の訛りと間違われる場合が寡くない。この点に十分の注意を払った。これと似た類でマミチャジナイがある、これにはマメコロバシ(北海道空知支庁空知郡栗沢村)やマミコロマシ(岡山県後月郡)が誤られ易い。これはマミチャジナイの方であって決してマミジロではない。
 各鳥の夫々の名は各々拠所があるので、以下の分も出処から分けて載せる事にした。
(1)羽色より導来したもの
マミジロツグミ(『鶫類図説』)
マミジロシンネ(長野県南安曇郡)
マミジロシナイ(島根県能義郡)
マミジロツグ(地名不詳)
マミエジロ(“A Manual of Palaerctic Bicrdes,”P.19)−−この方言は実在して居らないかも知れない。
マメジロ(“A Manual of Palaerctic Bicrdes,”P.16)(京都市附近)
マメジロツグミ(地名不詳)
マメトリ(埼玉県南埼玉郡豊春村及び岩槻町)
マメ(大阪市住吉区)
マミ(長野県南安曇郡)
マミワリ(福島県下)
マユシロシナイ(北海道=国別不明)
マユシロ(『鶫類図説』)
マユジロ(『日本動物総目録、有脊椎部』。秋田県下)
マユツゴ(青森県津軽地方)
マエツグミ(『呼子鳥』下)
マイキリ(石川県下、大阪府中河内郡)
マイギリ(富山市及び富山県上新川郡東岩瀬町)
マイケェ(愛知県西春日井郡春日村)
マジロ(北海道=国別不明。大阪市西淀川区千舟町)
ミミジロ(静岡県御殿場市)
ハチノジ(山梨県南都留郡河口湖町)
メジロツグミ(福井県南条郡王子保村・南日野村・杣山村地方・湯尾村・宅良村並びに今庄村附近)
メジロ(山形県西置賜郡長井町)
メズロ(宮城県栗原郡・宮城郡並びに刈田郡)
テラタメズロ(岩手県九戸郡)
ホォジロ(静岡県下、大阪府北河内郡守口町地方、島根県邑智郡及び邇摩郡、愛媛・高知両県下)
ホォシロ(愛媛県下)
ホジロ(大阪府下?)
ホォジロツグ(鳥取県東伯郡赤碕村)
カシワツグミ(高知県下)=但し雌鳥型に限る。
カシワ(高知県下)=雌鳥型に限る。
クロツグ(『鶫類図説』。栃木県下)
クロツムギ(岐阜県下)
クロシナイ(『鶫類図説』)
 マミジロ、マミシロ、マユシロ、マユジロ、マユツゴ、マイキリ、マイケェ、マミワリ、ハチノジ等は本種の眉線を眉毛と見立てゝ是を読み込んだものに違いない。
 ミミジロとは眉線を眉と見做して附けられたものと思える。
 ホォジロ、ホォシロ、ホジロ、ホォジロツグ等は眉線を頬のあたりの部分と見誤られた訳か『頬白』を主張して居るが、これは矢っ張り眉線の方が好い。
 カシワ或はカシワツグミはマミジロの雌を云うらしいが、トラツグミに当てる場合もある(トラツグミの方は島根県邑智郡、岡山県下、高知県下、大分県日田郡地方。此の種の方は雌雄相似性であるから、雌雄でも区別しない)。しかしこれはまだ十分には言切れない。
(2)囀声より導来したもの
チョボチン(長野県南安曇郡)
チョポチン(『日本北アルプスの鳥』  頁)
チョボイチ(山梨県南都留郡中野村)
チロンジ(長野県南安曇郡=アカハラと混称)
チョロンチ(長野県南安曇郡=アカハラと混称)
ジョッケ(新潟県下=クロツグミと混称)
ヒグラシ(岐阜県大野郡庄川村)
 本種は其の囀声を“チョボイチイ”と云う山梨県南都留郡中野村附近の云い方が最も似て居るであろう。
 「日暮らし」は一ト場所で鳴き初めると、夕暮れまでも鳴き通す処から云う。
(3)顆寡を表現して名附けたもの
ミヤマコッケ(岩手県岩手郡・盛岡市附近)
ミヤマ(長野県南安曇郡=クロツグミと混称、寧ろクロミヤマとして分ける方が多い−南信一帯)
 ミヤマコッケと云うのは黒鶫の山棲みのものゝ意に他ならない。
(4)棲息地の環境より名附けたもの
サワツグミ(山梨県西山梨郡)
 此の種の営巣個所としては岳麓では沢のあたりに多く見掛けると云い其の名を取って斯様に呼ぶ。
(5)出処が詳かでないもの
コンナエ(『呼子鳥』下)
コンナイツムギ(富山県下)

難波の鶴   山田弘道

 万葉集の巻の七に
 難波潟汐干に立ちて見渡せば淡路の島に鶴渡る見ゆ
 というのがある。近頃の註釈書の全てを検べたわけではないが、この歌の言う所に疑問を抱いた書物はないらしい。古い所でも註を要せず自明な歌として取り扱っている。
 然し下の句の「淡路の島に鶴渡る見ゆ」はそのまゝ、すうっと享け容れられるものであるだろうか。淡路島は大阪湾の西方約十里ばかしの所にあるのだから、四季を通じて見える島でもなく(鶴渡来の冬期は概して大気清澄な日が続くので、見える日は多かろうが)第一採餌のために移動する鶴が海上遙かの淡路島まで飛翔するとは考え難い。人はあるいわ「淡路の島に」の「に」は、「方へ」の意味で直接淡路島そのものを指したものでないと言うであろう。然し万葉歌人の言葉遣いは現代人のように出鱈目なものではない。「淡路島に」は飽く迄も「に」であって「へ」ではない。
○朝には海辺にあさりし夕べには大和へこゆる雁し羨しも
 の如く、生駒山の向うの大和を言う時は「大和へ」である。
○桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟汐干にけらし鶴鳴きわたる
 の桜田は現在の名古屋市瑞穂区桜台町附近で、その丘陵地の東南から西南にかけての一帯が年魚市潟だったと言われている。従ってこの両地間は採餌の移動距離として適当である。
○若浦に汐みちくれば潟をなみ葦べをさして鶴なきわたる
 にも採餌の習性を巧みにとらえている。
○沖べより汐みちくらし韓の浦にあさりする鶴鳴きてさわぎぬ
○可之布江に鶴なき渡る志珂の浦に沖つ白浪たちしくらしも
 の可之布江は現在の福岡市の香椎潟海岸で、志珂の浦は対岸の雁の巣飛行場から志賀島(陸繋島)にかけての一帯で、ここにも採餌と地理的な矛盾はない。
○汐干れば共に潟に出て鳴く鶴の声遠ざかる磯回すらしも
○夕なぎにあさりする鶴汐みてば沖浪高み己妻よばふ
 如きで、汐の干満の際にみられる鶴の生態をつかんでいる。このような万葉歌人の正しい文字の使い方と、採餌の為に鶴が移動する範囲の短距離であった観察的知識の見事さとを頭に置いて、もう一度最初の歌を読み直してみるならば、決して従来の自明という解釈には信用は置けないことがわかる。
 鶴は採餌のために海上十里も距たる淡路島までは移動しないものとすると、「淡路島に」はどうしても淡路島の方へと解釈せざるを得なくなる。然し原文に「淡路の島に」とある以上、この一種を例外と見るほかは、淡路の島の方へとは解し得ない筈である。時代は少し降るが古今集に
○難波潟汐みちくらしあまころもたみのの島に鶴なきわたる
 と先の万葉集の歌と同巧異曲の歌があって、淡路島の代りに田蓑島をもち出している。この歌だとその地理的関係が合理的で、吾々を納得させしめるに足りる。(一般的に言って古今集の方が万葉集より文学的であるだけに、この地理的合理性は注意してよい)
 私はこの矛盾に当面してから久しいのであるが、尚右の歌を地理的に解決づける鍵を握っている訳ではない。原文の「淡路島爾」の爾に伝本による誤りがない限り、淡路島はもっと難波潟に近い所に求められなければならない。京阪神急行電車の淡路駅の淡路庄は早くから念頭にあるが、もう一つ難波潟との関係が面白くない。勿論難波潟を何処に当てるかも問題ではあるが、今は上町丘陵北端下から始る西一帯とその対岸の天満台地あたりと解しておく。
 現在私の考えている所は東区の淡路町附近であるが、現在の淡路町と内淡路町を南北に仕切る東横堀川が昔の淀川の本流であったろうという説に従うと、(東横堀川が現状の南北流となったのは、豊公が築城の時大阪城の外堀として改修したに始まると考えられている。又戦記物の古い記録にこの川を河原町川とも言っているらしい)当然この東横堀川は西南流していたものらしく、淡路町の南の瓦町の河原がその旧淀川の河原であったらしいことは、京都の河原町が昔の鴨河の河原であったことと同じ意味に於いて解される。この瓦町に沿って昔の淀川本流が西南流していたとすると、その下流は阿波堀川に連絡し、阿波堀川が木津川に突当る所に江ノ子島のあることは、江ノ小島即ち大江(淀川)の小島であろうから、私の残存地名から推定する卑見にいくらかの支持を加えて呉れる。
 難波の地名が朝鮮語の渡津場を意味するナリハから出ているとすると、新町堀江の地にシラギを意味する古への新羅江即ち白髪橋があり、船場にクダラの訛りの南北久太郎町があり、欠郡となった百済郡も天王寺の東附近にあったとすると、この淡路町のあった船場の地名も朝鮮語の島を意味するセマから出ていると私は考え出している。そうすると此処に先の万葉集の歌で言う「淡路島」がどうやら想像出来るわけで、採餌のために鶴の難波潟から飛び渡る島としては、大変恰好な処に位置する島と言い得られる。ただこの場合淡路島の島は伊良湖崎を万葉集で伊良湖島と詠っているように、対岸の淡路の地をさして淡路島と詠ったらしい疑念も持たれるのであるが、兎も角も現在の淡路町の附近を先の万葉集の淡路島の地とすると、「淡路の島に鶴渡る見ゆ」はそのまま自明なものとして始めて解釈出来てくる。
 然し淡路町の地名が文献上では古く遡ることが難しいので、私見は尚根拠薄弱の批評を浴ることとは思ふが、万葉集の文字の使い方の正しさを信じ、鶴の採餌からする飛翔の範囲を類歌の上からも観察すると、どうしてもこんな所に淡路島を求めないわけにはゆかないのである。私は文中鶴の採餌のための生態などと口幅ったいことを書いたが、実は余りその方面の智識はないので、誤りを冒しているかも知れないのである。私が本誌に凡そ場違いなこの一文を書いたのも、野鳥の生態学に御堪能な本誌の方々によって、その間違いの御指摘に預かりたいからで、お気付きの点の数々を御面倒でも御教示戴けますなれば、私の悦びこれに過ぎたものは有りません。
山と生物   岡本圭堂

 山へ登るということは、その人により種々の目的があるようである。とりわけ自然科学について野外学習をするのには最もよいホームグラウンドである。過去の私の山行はスポーツとしての登山であった関係でゆっくりとおちついて学ぶことが出来なかった。幸いに御えんがあって同好の先輩に混って御指導を戴けることを大変よろこんでいます。29年の7月下旬、国体が北海道大雪山連峯であった時奈良県の代表として参加したのであるが、層雲峡の温泉より出発して、トドマツ、エゾマツの針葉樹の原生林にサルノヲガセが無数にたれさがり天日をもらさぬまで茂っているのをみて大自然の美に驚かざるをえなかった。黒岳への登りみちの岳樺(エゾノダケカンバが多い)帯では金属性のかんだかい鳴き兎のチリ、ツリンと淋しそうな声をきいた。天然記念物に指定されている保護獣である。マナスルの遠征隊員山崎安次氏の採集されたものと同じらしい。草木帯の岩石の間に多数が群棲しているらしい。霧の深い薄暗い日には特によくなき山の神秘さを覚えさせる。雲の平の清流にはブヨが産卵するためか休憩すると大群におそわれた。防虫頭巾か殺虫剤を携行すればよいと思った。凌雲岳附近には早朝、日没時刻にはエゾヒグマがよく出るとのこと、そおいえば高根原のはい松帯には去年のおとしものを発見する、牛の糞の二倍ぐらいのかさがある。ハイ松の松がさをたべるのか、消化不良のままおりているものが多く、燃やすと結構よく燃える。翌年8月中旬、大峯山脈の彌山より前鬼への縦走をしようと彌山小屋へつくと同時に台風9号が接近、20〜30mの風速で屋根がめくれそうになったが、倒かいだけまぬがれたのは不幸中の幸いであった。翌朝吉野駒鳥のチカラカラカラカラをききシュラフザックよりとび出し戸外に出た。ガスが多く、ぜんぜん視界がきかなかった。しかし風が出て来たので天候の回復の見込みもついたので出発する。予定通りのコースに従い七面山の岸壁附近には(アマツバメ)カリガネがいるらしいので双眼鏡で偵察してみたが、みつけることが出来なかった。岸壁の割目には見事なシンパクが随所にみられた。その夜は桃源郷といわれる前鬼の森本坊におちつく。夜明け前、ヒイー、フウー、とうす気味悪い鳴き声で夢をやぶられる。あとで調べてわかったのであるが、トラツグミらしい。比良山一帯にも五十数回四季を通じてのぼっているが、はっきりと鳴き声の確認したのはツツ鳥、カッコウ、野猿、シカのものあわれな淋しい声をきき夜分せすじがぞっとするものを感じた。26年の11月の連休に大峯の彌山へ夜間のぼり翌朝行者還岳手前のトチの原始林下で実をたべていた親子づれの三頭のかも鹿を30m前方にみた、その毛並のふさふさした色あいは深山の王者としての貫ろくは充分である。(田辺中学教諭)

米国産鶫の輸入計画について   川村多実二

 近年我邦の野鳥が著るしく減少したことは周知の事実であるが、「之を憂えた一人の本邦在留米国人が合衆国に沢山居るRobinを取寄せて放したらよいと考え、京都の或学者の意見を徴したところ、此人はその計画を無効だとして協力を断った」という話しが伝はり近畿の或民間放送がそれを報道して学者の態度を批難したそうである。筆者は友人からこの話しを聴いただけで、放送の内容がどんなものであったか不明であるが、恐らく筆者自身が相談を受けて応答した次の事件が誤り伝えられたものと考えられるので、簡単にその真相を説明して置く。
 抑もこの米国産鶫輸入の立案者は三重県松阪市でカトリック教会を主宰して居らるゝ米人である。名刺を貰はなかったので氏名は判然と覚えて居ないが、日本語が達者で、日本の習慣にも相当通じて居られたが、この問題を極簡単に考えて、吾々が賛同したら直ぐにも本国の愛鳥団体に頼み飛行機でロビン十羽位を取寄せ比叡山に放つ計画であったので、筆者は先ず輸入の手続について次の如く説明した。
 凡そ外地から新たに動植物を移入するには慎重な態度が必要で、時にその国の生物界に大変動を起し厄災をかもすことがあるので、世界各国皆その取締を厳重にし、税関が目を光らせて居る、日本の動物界が世知辛いの対し米国では敵が少くて暮しよく動作鷹揚であるから、米国から移した動物が生存競争上我邦在来の種類を凌いで引掻き廻す程の生活力が無いのが多かろうが、物には例外があるもので、牛蛙(食用蛙)やアメリカザリガニの様に速やかに増殖してわが邦の農業を害した実例もある。もっともこの鳥の場合は入れた直後盛に殖えてくれた方がよいのではあるが、それにしても先づ米大使館を通じて我農林省林野庁にその移入許可を申請するのが正式の手続である。
 さて筆者自身このロビンの輸入は大賛成で、出来る限りの協力は喜んでするが、之には次の如き困難のあることを覚悟してかゝらねばならないと云って四項を挙げた。即ち
(1)北米のロビンは英国のロビン即ちわが駒鳥に近い種類ではなく、大きさも色彩もわがアカハラによく似た中形の鶫である。最初米大陸に上陸した英国からの移民が鳥のことをよく知らないで、腹の赤い点から本国の駒鳥即ちロビンと誤称したのがそのまゝ現在に到って居る。而して我邦には既に幾度も飼鳥として輸入せられコマツグミという和名もできて居るが、之に近い我邦のアカハラは本州中部以北で蕃殖し冬はジャバ、スマトラあたりで越冬するするのだから、若しアメリカロビンを放つことになっても近畿地方でなく、アカハラの居る富士裾野、軽井沢、日光或は東北、北海道の或地方を選ぶ可きで、比叡山では南方すぎる。
(2)外国から移入する野鳥は留鳥即ち年中同一地方に留まり棲む種類を選ぶのが原則であるが、このアメリカロビンは留鳥でなく、夏は北米の中部以北に、冬は南方諸州へ移動する渡鳥である。従って日本に移入せしめた場合、秋になり本国の場合と同様真南に向って飛んだらば太平洋上に出てしまう。四国九州から斜に沖縄、台湾と渡ってくれれば倖だが、人力でそれを指導する方法が無い。
(3)新に輸入する動物よりも在来種族の方が生活環境に慣れて居て有利なのが生態学上の原則である。生活力の強いことで定評のある雀でも、英国から米国に入れたときは、仲々成功せず、十五回も繰返し移入して初めて殖え出したのであるから、アメリカロビンを一回や二回取寄せて放しても成功するとは考えられない。何十回でも繰返す根気をもってかゝる必要がある。
(4)このアメリカロビンは非常に美味な鳥で、確実な記録によると前世紀北米の住民は夜間そのねぐらを襲うて大量に捕殺し、一人当り数百羽を入手、近郊から荷車を以て集り来り獲物を運び去る者毎夜百人を超えたのであった。現在邦民は狩猟法規を無視して野鳥を捕らえて食用とし、売買しても毫も憚らないし、警察官も之を咎めようとしないのだから、たとえロビンの移入に成功し、増数しかけても、直ぐに捕らえられてしまうから、先づ鳥類愛護心の涵養が必要である。
 筆者は以上の通り諸事情を詳しく説明したが、宗教家であり人間の良き面を重く見られる性格のためか、この最後の項を全然諒解せられず、「米国人が好意を以てわざわざ日本に寄贈した鳥を日本人が捕えたり苛めたりする筈が無い」と確信せられる有様で、筆者が伏見稲荷神社前の焼鳥屋等の実例を挙げていくら説明しても納得できず、現況の説明にも少しも耳を傾けられなかった。要するに筆者は御座なりの賛成説でなく、我邦の現状を語り、問題を細かに分析して率直に意見を開陳したのであったが、それが単に不賛成だととられ、民間放送の課題とまでなったことは遺憾である。

大台ケ原・大杉谷の鳥   岡本恭治

○日程 7月11,12,13日 3日間 参加13名
○コース・時間
【第1日】
大和上市(9:30 a.m.発)−バス−筏場(12:05着、昼食、12:30発)−三重三階(2:05p.m.着、2:20発)−銀明水(2:50p.m.)−銀嶺水(3:20)−大台辻(4:00着、4:20発)−銀明水(5:00)−大台山の家(7:00着)(宿泊)
【第2日】
大台山の家(8:15a.m.発)−大蛇ー牛石ヶ原分岐点(10:25発)−牛石ヶ原通過(10:28)−正木ヶ原(10:44)−秀ヶ岳(1695.3m)(11:30着、12:00発)−堂倉小屋(1:45p.m.着、昼食、2:30p.m.発)−堂倉ノ滝(3:12着、3:35発)−隠滝(4:08)−七ツ釜滝(5:15)−桃の木小屋(6:15着)(宿泊)
【第3日】
桃の木小屋(6:10a.m.発)−平等ー(6:40a.m.)−ニコニコ滝(7:00)−千尋滝(8:05着、8:15発)−飯場(木材集積所)−大杉谷(12:15着、昼食、12:45発)−バス−国鉄三瀬谷駅(2:10着、2:55発)−紀勢東線−松坂(3:55着)−近鉄線−八木(5:51)−京都(大阪)
○以上の三日間において観察した鳥類は下記の20科35種及び亜種であった。これらの他、サンショウクイ、キビタキ、ヤブサメ、センダイムシクイ、サシバウスアカヤマドリetc.は当然棲息しているものと考えられる。

目録(筏場−大杉谷マデ)
備考
カラスカラス飯場より大杉谷に至る途中鳴声が聞かれた。種名不明
カケス
アトリホホジロ
セキレイキセキレイ
メジロメジロ
ゴジュウガラゴジュウガラ秀ヶ岳出発后まもなく(12時45分)三羽確認
シジュウガラシジュウガラ
ヤマガラ
コガラ秀ヶ岳頂上部 牛石ヶ原etc.に多
ヒガラ
エナガ
ヒヨドリヒヨドリ桃の木小屋から大杉谷へのコースでは平等ーニコニコ滝(ab500m)附近から鳴声が聞かれ姿が見られる様になった。
ヒタキコサメビタキ堂倉小屋で二羽(一親一ヒナ)観察
オオルリ
ウグイスエゾムシクイ第1日 金明水(5:13p.m.)約1200m位の所で特徴ある鳴声が聞かれた。
ウグイス
ツグミトラツグミ大台山の家附近で朝9時近く迄その鳴声が聞かれた。
ルリビタキ秀ヶ岳頂上部、牛石ヶ原etc.に多
コマドリ大台山の家附近で割によくその鳴声が聞かれた。12日朝は4時10分に初鳴、大杉谷へのコースでは堂倉小屋附近(ab1100m)で聞いたのが最後であった。
ミソサザイミソサザイ大台山の家附近に割に多、12日朝は4時25分初鳴、又桃の木小屋からニコニコ滝より少し下部までその鳴声が聞かれた。(大体450m位の所まで棲息している)個体数も割に多。
カワガラスカワガラス
アメツバメアメツバメ秀ヶ岳頂上で三羽、又飯場から大杉谷に至る途中約300m位の所で一羽、観察
ヨタカヨタカ大台山の家附近で12日朝3時50分頃鳴声が聞かれた。4時32分頃まで聞かれた。
カワセミカワセミ久保氏が飯場と大杉谷の間で観察された。
キツツキアオゲラ12日早朝秀ヶ岳に至る途中鳴声が聞かれた。
ナミエオオアケガラ12日早朝大台山の家附近で観察(♀1)(色彩がはっきりしなかったが大台ではよく観察されているのでアケガラではなく本種であろうと思われる)
シコクコゲラ
ホトトギスカッコウ橋本氏が12日朝鳴声を聞かれた。
ツツドリ11日夕方、山の家で聞かれた?
ホトトギス12日朝3時30分にはすでに鳴いており、又飯場から大杉谷に至る途中よくその鳴声が聞かれた。
ワシタカノスリ大日ーを少しすぎた所で観察
トビノスリと同じ場所及び大杉谷で観察
ミサゴミサゴ大杉谷で一羽観察
ハトキジハト飯場から大杉谷に至る途中一羽観察
アオバト銀嶺水で一度鳴声が聞かれた。(11日3:20p.m.)
20科 35種

○以上の他飯場から大杉谷へ至る途中、大型のタカ(1♂、一♀?)を観察、両翼が前に傾き、翼の巾広く、すこぶる大きく見え、又尾羽は少し丸味をおびていた。色彩(尾羽の黒状etc.)がはっきりしないため確認する事は出来なかった。
○又この他に大杉谷からのバス、汽車車中より次の4種を認めた。
 キンパラ科  スズメ
 モズ科    モズ
 ツバメ科   ツバメ
 カイツブリ科 カイツブリ(紀勢東線櫛田川で2羽(1♂、1♀?)見る)
◎追記
 大台ケ原の鳥としては御厨正治氏はイヌワシ。ブッポウソウ。を最近観察されたことを参考までに記します。


 雉   松本貞輔
 静かな狭霧の褥を透し、秋陽映ゆる紅葉の美林を貫き、好晴の秋峯に弾けるかと思えば物憂い春の曙に、蓮華草の絨氈を遠くに渡る軟かさ。
 その何れともども私は、きぎすの声に日本古代の清々烈々たる武道の姿を観じ、優雅端麗な古典の香りを思うのである。
 まことに、遠くに聞けば、これなん俗心を洗う声なり、天地悠久、和平を伝うる声なり、神韻の響き、山気自づと発する霊音なりと思い、近くに聞けば、威令四辺を圧し呑む堯将の叱咤か、はたまた一刃必殺の剣豪裂帛の気合なりと思う。
 全日本の狩猟家が、法規遵守の最低線を越えて、紳士道として恥じない芸術的な狩猟を行うことを念願に、折に触れて強調して来た私は、身を猟人の籍に置き乍ら、野生の一鳥一獣に関心と愛情を覚えつつ、銃を提げての徘徊此処に三十年。遂年減数して珠玉化する国鳥に寄する駄詠を掲げて、広く天下の愛鳥家諸賢の罵声を浴びるは、又鳥霊供養の一端ででもあろうか。

 初猟の犬きほいつつさぎりこむ山路辿ればきぎす鳴くなり

 峯に鳴くきぎすの声に空晴れて心爽かに初猟を行く

 香に乗れる犬の背低くかるかやの穂波縫いつつ秋陽にはゆる

 一腹のきぎす翔ちたり櫨もみぢ映ゆる山辺の今日初猟日

 冴ゆる音に右と左に落しけり雉野に秋の陽は高うして

 羽ばたきもせで尾根越ゆるきぎす四つ秋陽に映ゆる野は広うして

 長々と秋草にねて狩り果ての二羽のきぎすの尾羽根ととのう

 砂浴びの跡の並びて山かいの小松ヶ丘に秋陽のぬるむ

 真新し砂浴びの跡秋陽さし抜毛三つ四つ山静かなり

 秋空をかぐろく光り老雉の鳴きて渡れる山かいの里

 羽音あらら飛び立つきぎす一打にりんどう匂う野に落しけり

 こぼれ咲く野菊の叢に埋れて雉の羽色に見入りにけり

 きぎす三つ腰に吊せばしだれ尾の長々からむ山かいの道

附記
 先年丹波町に於て♂羽化せし♀雉を射獲、該鳥は林野庁の白井邦彦氏に進呈せしことあり。


ヤマセミとカモシカ   浜畷慎吾
 八月初旬の三日間、女人禁制で兎角物議をかもす大峯山の幽谷神童寺谷を遡行した時の事である。
 近鉄下市口より洞川の手前川合迄バス、これより川迫川に沿ってトラック道を行く。神童寺橋で登山靴を地下足袋にはき替え、冷たい流れをガボガボ渡渉する。天気は上乗。黒い大きなカラスアゲハが時に光線の加減で、キラッキラッと紺青色に羽を輝かせ乍ら群舞する。大体この蝶はこんな所に多いらしい。何年か前に大峯山脈を北から南へ縦走して新宮へ出た時、北山峡を筏で下ったが其の折も峡谷の水上をヒラヒラと乱舞するのを見た事がある。絶壁の間に咲く山ツツジの赤と、水と空の青、木の緑などが印象的であった。
 曲物師小屋、弓伐谷などを過ぎる。背の立つ様な淵は大原女宜しくリュックを頭に乗せて過ぎる。カワガラスが黒い礫の様に飛ぶ。鳥の鳴声は余り聞かれない。反対にアブの多いのには閉口する。狼横手と云う変った名前の所は両岸絶壁の深い淵で止むなく左岸の急斜面を高捲く。イヤになる程の重労働で、風化した岩に落葉が積もり、木もシッカリ根を張っていないから、余程慎重にやらないと木諸共淵へ墜落である。こんな両手の離せない様な所でアブがまくり上げた腕や首筋を遠慮もなしに刺して来る。これには参った。水の近くになると虫も多くなる。一度などはそれに気を取られて足を水苔にすべらせてボシャンと落ち込んだ。荷物は大きいし、水底の岩はツルツル滑るし溺死の十歩位手前でやっと這い上がった。然し快晴だから濡れた事もそう気にならない。淀んだ淵には大きなヤマメだかアメノウオだかが悠々と泳いでいる。釣道具を持って来なかったのが残念だと二人で口惜しがる。土地の猟師の話に依ると此の谷が大峯山系中で一番熊が多いそうである。葛城谷出合でテントを張る。流木がいくらでもあるから豪盛な焚火をする。少々炊き損いのめしが出きたが、食慾旺盛で後が心配になる程はずむ。谷の暗くなるのは早い。十時頃狭い空に満月が出た。さてこれから魚でも突きに行かうかと途中の関電ダム作業場で作って貰ったヤスを持って冷たい水の中へ入る。ランプをつけてジッとしていると手の間へ入って来る。光に眩惑されているのか、人のこわさを知らないのか。こわさを知らぬ、と思う方が『秘境』と云う感じが出て面白いのでそう思い込む事にする。掴もうとするとスルリと逃げる。十二時頃迄ねばったがとうとう一匹も獲れず。しかし大物はさすがに近くへは来ない。上ってからまた盛大な焚火をし、月に咆え喰って就寝は午前二時頃。翌朝九時出発。朝の焼きめしはうまい。ヤマセミに初見参したのは此の日であった。5m程の滝があってその横の岩にヘバリついていた。そして上へ顔を出した途端大きな白っぽい鳥がキャーッ、キャーッと云う様な声を出して上流へ飛び去った。鳥も驚ろいたであろうが、こっちもびっくりしてもう少しで手を放して、滝壺に墜落する所だった。二回目も又両方がびっくりする様な出逢いで、お互いにジックリ観察している暇はなかった。鳥の方にしてみれば、熊かな?と思った事だろう。
 二日目のキャンプは小笹谷との出合に張る。誰はばかる所のない盛大な焚火。顔がほてる。昨夜より少し遅く月が出て来た。次の朝は早いから夜遊びはせずテントに入る。谷も此のあたりになるともう魚は居ない。木の葉より洩れた光がテントに模様を描く。
 三日目、六時出発。犬取りの滝の手前で休んでいた時の事である。不意に上から、ガラガラッと石が落ちて来た。ヒョイと上を見るとカモシカが急斜面を大慌てに駆け登って行く。思はぬ見ものであった。此の山へはよく入るが姿を見たのは今回が初めてである。これよりジョレンの滝の右岸を高捲いて稲村岳と、バリゴヤの頭の間の尾根へ出た。稲村岳は最近女人禁制の解けた山で、ワンサと登っていた。解禁になるのが当然の成り行きであるのだが又反面残念だなとも思うのである。此処迄来れば人は多い。そしてまた鳥の声も多くなって来る。カラの類、コマドリ、ホトトギス、メボソ、カケス、ツツドリ、ミソサザイなどが特に多く目についた。(了)

中共の雀退治に思う   伊藤正美
 さる4月19日の朝、首都北京の三百万市民は午前四時半にたゝき起こされた。病人と赤ん坊を除いて全員路上に整列。そこへ“首都の人民は本日朝から苦斗三日をもって雀を撃滅する。全戦斗員はそれぞれの持場で協力して戦ひ、規定時間内に戦斗任務を完成せよ”という命令が下る。首都雀撃滅指導部総指揮王崑崙、副市長が全市民に発した総攻撃命令である。で、市民たちはねむい目をこすりながら、女はサオ竹の先に赤い布をしばりつけ、あるいは片手にバケツか、洗面器、片手に丸たん棒をにぎって待機し、男は猟銃か、パチンコをもって屋根や木の上にはいのぼる。やがて、“用意”“はじめ!”の号砲。市民は一せいにバケツやドラ、太鼓、テッポウをドンジャン、ガンジャン、ドカンドカンと打ちならし、屋根の上におし立てたハリコの大入道をふり回す。驚いた雀たちは、わっと巣から飛び立って、あっちへ逃げ、こっちへ逃げするが、北京市中、どこへ行っても(天壇にさえもテッポウ組が待ち構えていた!)ドンジャン、ガンジャンとやられるのでとまって休むことが出来ず(下へおりて来たやつはパチンコや銃でしとめられた)夕方ごろには全鳥フラフラ、気絶して地べたへ落ちてしまうということに相成った。これは雀が物音におびえやすいこと、長く飛び続ける力をもたない(二時間程度という)ことなどの弱点をついた作戦で、三日間で約四十万羽の雀を退治、もはや北京の空には雀の編隊は見られなくなった、と中共の各新聞はグラフ写真入りで大々的に報じている。』
 以上は或る週間雑誌の記事そのまゝの転載であり、どの程度真実を伝へたものであるかは不明であるが、兎角驚き入ったことがらである。その受け取り方は各人各様であり、その批判も色々あると思うが、私はこの記事を読んで感ずるまゝを、日頃の所信と共に述べてみたい。
 本来、愛鳥精神などは所謂筋金の入った共産主義的唯物論者の前にあってはブルジョワジーの観念的遊戯に過ぎないかも知れないし、亦、雀が収穫期の稲田を荒らすことはかくれもない事実であるから、たとえ彼等が稲田に穀物のない長い期間をもっぱら草の種や害虫の駆除に大いにつとめてくれたその功績がまるで無視されて居るとしても、誠に不本意乍らとやかくは申すまい。が私がこゝで極めて遺憾に思うことは−−唯、その雀退治の大げさなことや、共産体制国のすさまじい大衆動員に驚き、あるいは、なすところなく殺された雀に対し憐みの情をそゝぐ丈ではすまされないものを感ずるからである。それは『自然及自然生物に対する現代人の心構え』とでも云い得ようか。そこにはそれらのものに対する人間としての謙虚さがいさゝかも感じられない。これは一体何に基くものであろうか。生物学知識の貧困もあろう。が要は科学の万能を誇る現代人の思い上りと自然の軽視に外ならぬと思う。
 申す迄もなく、自然の生物が食物連鎖によって各々ある均衡のもとに共存して居ること、即ち−ナチュラル・バランスの法則−は生物学の最も初歩にして且つ緊要な法則であり、この点にいさゝかの考慮も払わず、唯目先の成果にのみとらわれて自然及自然生物の破壊を断行するのは無謀である。併もその連鎖の内容は複雑多岐にして余人の即断を許さぬものがあるに於ておやである。このことは、我々唯、中共の雀退治に目を丸くし三角にするのみでなく、自身充分に反省してみる必要がある。規模の大小こそあれ、大同小異のことは我国に於ても常に行れ、且行はれる可能性が多分にあるからである。
 これは先頃の新聞記事である。政府の高官が、おそらくは「稲作と農業」について陛下に奏上したした際のことゝ思はれる、陛下より『益虫はどうなって居るか』との御下問にあづかり『善処致して居ります』とお答えした次第を、これは失敗談としてゞはあるが、本人自ら面白そうに語って居るのを読み、冷水三斗の思いがした。あきれはてた次第である。
 昔から−無知程こわいものはない−と云う諺があるが、カスミ網猟復活等と云う馬鹿げた法案が憶面もなく提出されるのは、すべてこれと軌を一つにする処である。生物学的知識の貧困と自然に対する無理解、正に救うべからずと云うべきか。
 私はもとより生物学をとやかく云い得る資格のものではないが、今日程、生物学の必要が痛感されることはない。反りみるに自然生物に対する知識の貧困は唯それを破壊するに止まらずし人間自身の社会生活の上にも限りない矛盾を諸々に露出して居ると云っても過言ではあるまい。
 人間の恵智は人工衛星をとばし、原子力の秘密を解したりと雖も、社会は愈々騒然として斗争に明けくれ、本能のまにまに禽奔獣走し主義に従って正邪曲直の判断さえ出来ぬ現代である。自然を知らず、自然生物を知らずして人類を知り、人間性を解し得る筈がないからである。
 むつかしいことはさて置き、兎角我々は先づ謙虚なる心を以て自然をみつめ、自然生物に接し、進んでその保護、育成に努力したいものである。
 中共の雀退治の記事を読み感ずるまま……。(了)

編集雑記      橋本英一
 山科の里にもこの頃中空に真白い羽根を輝やかせて5〜10羽の「ケリ」の姿が見られます。今朝も出勤の途上、刈り取られた稲田に雀の群と一緒に「セキセイインコ」が一羽混って落穂を拾っていました。姿と鳴声の対照とが面白いのでしばらく観察していましたが、やはり強い雀に追われ勝ちで仲間外れにされそうですが、それでもいつまでも雀について廻っていました。果して野生化できるか心配です。
 今年の猟期から狩猟法も厳しくなって狩猟免状を取るには講習会に出席して一応の狩猟鳥と非狩猟鳥等の判別などの知識を持つようになるので空気銃の所持者も少しは良くなると思います。まして京都は会員松本貞輔氏が講師の一員として出席されているので何よりだと安心しています。
 会誌「三光鳥」も第6号の発行の運びとなりました。これも偏に会員諸兄姉のお力添えと嬉こんでいます。
 毎月の例会も何にかと計画は立てていますが、なにぶんにも小生一人で公私ともに雑務に追われて皆様の御期待に反することばかりで申訳ございません。誌上で深くお詫び申し上げます。今後共に良い案がございましたら御教示を頂きますようお願いします。
 東京支部から毎月欠かさずに支部報の御恵与を頂き、いつも乍ら充実した会員と計画運営は羨ましい次第です。さすがは本拠東京なるかな……と益々御隆盛をお祈り申します。郡山支部・金沢支部・福井支部も夫々に支部報を頂いて、いづれも誌上でお礼申し上げます。
 本号は川村先生から特に貴重な口絵「警戒」の御寄与を賜りましたことは本誌の光栄とするところです。この絵は我が国での「狩猟画」としては恐らく最初のものだろうとのことです。東京から籾山先生のいつに変らぬ御厚意で「マミジロ考」が頂けましたのでご披露いたします。
 本年の探鳥シーズンは遅ればせながら7月11日、12日、13日の三日間を大阪支部の御協力を得て、大台ケ原・大杉谷コースの探鳥会を催しました。幸いに鳥相については大阪支部の岡本恭治氏より詳細な御報告が頂けましたので誌上を飾らせていたゞきます。
 毎度のことですが、仲々に原稿が集まらないので編集者として誠に心淋しいのですが、本号は内容は夫々に又と得がたい玉稿で充実したものと信じています。
 11月発行が延び延び、とうとう師走の声を聞く頃となり、重ねてお詫びいたします。
 何卒良き新春をお迎え下さるようにお祈り申し上げます。
 編集のいたらぬ点はよろしくご叱声のほど。(33.12.5記)


第6号 ここまで

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