京都野鳥の会沿革史  中村善夫(京都野鳥の会副会長)編纂

1952年
昭和27年12月 京都野鳥の会発足する。
名誉会長 川村多実二(京都市名誉市民)
会 長  橋本英一(京都府文化功労賞受賞者)
委 員  伏原春男 大中啓助 伊藤正美 安達寛  会員数37名
○日本野鳥の会(旧)京都支部を母体に発足し、橋本英一が初代会長に就任する。尚 伏原春男は京都支部長を兼任する。
1953年
昭和28年2月 宇治川のオシドリを見る会(本会の記念すべき第1回探鳥会である)
5月比叡山 7月木曽藪原 11月琵琶湖に鴨を尋ねて
○鳥談会は探鳥会の無い月に、主に京都ホテルに於いて開催される。主題は毎回設定されるが、本年の主なところは「英国の鳥のレコードを聴く会」などが開かれた。
11月「三光鳥」第1号発行。本会の会誌で年1回の割りで出版する。謄写印刷である。
編集長は安達寛。主な内容は「発刊に際して」「京都の鳥」「日本の鳥の良さ」など
昭和28年制定会則抄
○本会は野鳥の知識普及及び愛護思想の高揚を通じてその保護育成を計るのを目的とする
○年会費 200円。前納者を以て会員とし、同時に会誌の領布を受ける。
○会員は本会の施行する例会・探鳥会並びに其の他催しに際して優先的に参加する資格を有する。
○本会事務所は京都市中京区柳馬場蛸薬師上る。
1954年
昭和29年5月10日 川村多実二先生の歌碑建立。
比叡山中に川村先生作の「時ならぬ 椿の花をよろこびて 目白友よぶ 山かげの寺」 とくっきり刻みこまれた自然石(高さ4尺余)を建立した。当日は比叡山釈迦堂前で、 100余名の参列を得て盛大に挙行された。
2月宇治川ラインのオシドリ生態観察 6月比叡山探鳥会 11月捕鳥場見学
12月琵琶湖畔に水鳥観察
○鳥談会は京都ホテルで開催。主なテーマは「川村先生の外国産鳥類に関する講話」など
1955年
昭和30年3月「三光鳥」3号発行。謄写印刷 編集長は安達寛。
主な内容は「富士山麓のミソサザイ」「河原鶸の古名と方言」「鳥名を冠した京の地名」「御所のオシドリ」など。
5月大原・古知谷探鳥会 7月洛南小倉「計里」観察会 9月大阪住吉浦の干潟の鳥など
○会事務所変更 京都市東山区山科竹鼻竹街道町50 橋本英一方
1956年
昭和31年5月「三光鳥」4号発行。謄写印刷 編集長は橋本英一。
主な内容は「野鳥の想い出」「野鳥雑詠」「闇夜の渡り鳥」「鴨川畔の越冬燕について」「大陸の野鳥あれこれ」など。
1958年
昭和33年7月 大台ケ原、大杉谷コースの探鳥会
昭和33年10月 狩猟法の改正で免許を取るには講習会を終了することとなる。
本会会員松本貞輔が講師の一員になる。
○会事務所移転 京都市東山区山科音羽中芝町40 橋本英一方
昭和33年12月「三光鳥」6号発行。タイプ印刷 編集長は橋本英一。
今号からタイプ印字による印刷になる。主な内容は「マミジロ考」「難波の鶴」「山と生物」「ヤマセミとカモシカ」「米国産ツグミの輸入計画について」など

1960年
昭和35年 伏原春男委員が「京都市南部の巨椋干拓地に生息するケリについて」
の研究論文を発表。この研究に対して日本鳥学会賞を受賞する。
昭和35年5月19日「山せん」に於いて会則を決議する。
   京都野鳥の会会則
1、本会は「京都野鳥の会」と称し「日本野鳥の会京都支部」を兼ねる。
2、本会は鳥類に関し主として自然科学的な観察研究を行ない、野鳥愛護の精神を涵養することを目的とする。
3、(イ)本会の目的に賛成する者は誰でも入会することができる。
  (ロ)本会の行事には臨時会員の参加を認める。
4、本会目的を達成するため次の行事を行う。
 総会年1回 野外観察及び研究会 会誌「三光鳥」の発行 その他適当と認めた行事
5、本会には次の役員を置く。
  名誉会長1名 顧問若干名 会長1名 委員若干名
  委員は会長を補佐して会の運営に当たる。委員は総会に於いて会員中より選出する。
  委員の任期は2ケ年とする。但し留任を妨げない。
  顧問は委員会の諮問に応ずる。顧問は委員会に於いて委嘱する。
6、本会の経費は会費(年額 200円)と寄付金及び行事収入を以て当てる。
付記 本会の事務所は「京都市東山区山科音羽中芝町40 橋本英一」方に置く。

昭和35年5月 昭和35年度役員
名誉会長 川村多実二  顧問 佐藤磐根 伏原春男
会 長  橋本英一
委 員  大中啓助 伊藤正美 久保忠雄 高田俊雄 田中大典 千葉尚二 山本裕子
昭和35年12月「三光鳥」8号発行。編集長は千葉尚二。
主な内容は「英詩の鳥」「ライチョウ」「飛騨の峠路」「富士山麓に野鳥を訪ねて」など

1962年
昭和37年2月 川村多実二先生個展。本会主催で産経画廊で開催する。
川村先生は京都野鳥の会創始者で、京都美術大学学長である。同個展収入の16万余円を、本会運営の資金として御寄付下さった。
昭和37年4月 京都府狩猟監視員の任命。本年度から京都府知事より監視員の委嘱がある。
橋本英一 佐藤磐根 伏原春男 高田俊雄 大中啓助 伊藤正美 久保忠雄以上7名
昭和37年   本年度役員
名誉会長川村多実二 顧問佐藤磐根・伏原春男 会長橋本英一
委員 大中啓助 伊藤正美 久保忠雄 高田俊雄 小泉和男 会員数70名
昭和37年12月「三光鳥」10号発行。編集長は橋本英一。
主な内容は「巨椋池の夏鳥」「台風のお土産・グンカンドリ」「奥美濃の水芭蕉」「鳥声と音楽」など。
○現在の「三光鳥」誌のスタイルが出来上がった。

1963年
昭和38年3月 高田俊雄委員は富士山麓の須走に移住し、この地で野鳥調査に入る。
特に農林省の「森林有益鳥類誘致試験区」が建設されると、その業務に従事する。
1964年
昭和39年12月 川村多実二先生ご逝去。
京都野鳥の会の創始者で名誉会長でもある川村先生がお亡くなりになった。
1965年
昭和40年1月17日 京都野鳥の会追善法要を天性寺で営む。
昭和40年5月23日 故川村多実二先生供養塔納骨開眼式を営む。
供養塔は亡き先生が比叡山で一番好まれた西塔で三光鳥の鳴く青龍寺の小高い丘に建つ。
1966年
昭和41年3月13日 国土緑化推進運動に野鳥保護が加えられた。
ことに寄って京都緑化推進行事の中央行事に参加した。(会場は嵐山の中之島公園)
昭和41年3月 昭和41年年度新役員
会長 橋本英一  顧問 佐藤磐根 伏原春男 岡本省吾
委員 大中啓助 伊藤正美 久保忠雄 高田俊雄 小泉和男 入江英一 会員数90名
昭和41年4月 京都野鳥の会研究部発足する。(第1次)
昭和41年4月「三光鳥」13号発行。編集長は橋本英一。
主な内容は「生態写真・ノスリの雛」「渡り鳥の試練の年・昭和40年」「ジュウイチ」
○年間行事報告が際立って充実している。
1967年
昭和42年5月10〜16日「京都府鳥オオミヅナギドリ生態写真展」開催。
藤井大丸百貨店にて、京都府後援で開かれる。研究部員の傑作写真数十点を展示。一般市民に府鳥に指定されたオオミヅナギドリの認識を深めた。
昭和42年5月13〜14日「野鳥生態写真展」開催。
京都府立植物園にて、生態写真50点を一般入園者に展観して、愛鳥思想の昂揚に努めた。
昭和42年6月3〜4日「第13回日本野鳥の会全国大会」が京都府下で2日間にわたって開催。
第1会場は国立国際会議場  第2会場は比叡山延暦寺会館
○2年間準備を進めてきて、京都野鳥の会役員以下一同張り切って奉仕した。特に研究部員の活躍が参加者の注視の的であった。
1968年
昭和43年4月 橋本英一会長が「京都府文化功労賞」を受賞する。
昭和43年5月 橋本英一会長が「農林大臣表彰」を受ける。
昭和43年  歌集「野鳥雑詠」初音書房発行。
昭和39年、81才で御他界された川村多実二先生をお慕いする全国の有志 122人の投稿を橋本英一会長の尽力で歌集を発行する。
1969年
昭和44年1月19日 サケイを発見。
滋賀県守山町木之浜の埋立地で岡田登美男・小西忠昭・石井照昭・石原重厚・橋本建男の5人が観察する。日本第2記録となる。
尚 サケイは3月中も引き続き観察出来た。
昭和44年4月 石井照昭が「巨椋干拓田鳥類目録」発表。
昭和39年から昭和44年2月までの記録。26科83種。
昭和44年4月 岡田登美男が「木之浜周辺の鳥類目録」発表。
昭和39年からの観察記録。 138種であった。この地のサケイは特筆である。
昭和44年12月 会員数 113名。
1970年
昭和45年2月 新潟県・左潟と瓢湖の白鳥観察会(京都野鳥の会例会)
*素晴らしい自然と 素晴らしい仲間で…と書きはじめるレポートである。
昭和45年3月「三光鳥」17号発行。編集長は橋本英一。
主な内容は「五月の北海道ところどころ」「巨椋干拓田に於ける集団ブンチョウ見聞記」「巨椋干拓田にてケアシノスリとハイイロチュウヒを観る」など。
昭和45年5月「比叡山探鳥会」本会と京福電鉄会社と共催。
創立以前から毎年5月に3回開催している。毎土曜日の夜一泊して早朝より観察会。
昭和45年7月18日「伏原支部長アフリカ帰朝観察談を聞く会」が開かれる。
昭和45年10月18日〜31日 クビワキンクロ日本初記録。
亀岡市馬路町池尻の中池で八木昭会員が初観察する。写真撮影に成功する。
昭和45年10月28日 橋本英一会長が突然倒られ、急遽高折病院に入院する。
1971年
昭和46年 橋本会長の病気の為、委員会を開き会長代行と事務所を決める。
会長代行 大中啓助就任
事務所は京都市伏見区深草フケノ内5ノ3 大中啓助方
昭和46年4月「三光鳥」18号発行。編集長は大中啓助。
主な内容は「口絵写真・クビワキンクロ」「珍例三題」「「ケリの攻撃と逃避行動」
「オージュボンとバーズ・オブ・アメリカ」「花鳥日記抄」など。
昭和46年 月 昭和46年度新役員
会長 橋本英一  会長代行 大中啓助  顧問 佐藤磐根 伏原春男 岡本省吾
委員 伊藤正美 入江英一 久保忠雄 小泉和男 石井照昭 井上誠治 岡田登美男
杉村昭夫 田淵 章 八木 昭   会員数 104名
昭和46年9月15日 セイタカシギを岡田登美男が滋賀県守山市木之浜で観察する。
滋賀県初記録。
1972年
昭和47年1月 同志社標本館見学する(京都野鳥の会例会)
昭和47年 入会金 100円 会費(年) 500円と決まる。
尚 臨時会員の会費は 100円2ケ月有効。
昭和47年2月27日 ハイイロヒレアシシギを岡田が滋賀県守山市木之浜で観察する。
滋賀県初記録
昭和47年5月「三光鳥」19号発行。編集長は大中啓助。
主な内容は「同志社標本館を見学して」「京都の比較的珍しい鳥達」など。
昭和47年9月 ヒメシロハラミズナギドリ保護。
京都市右京区嵯峨新宮町で捕獲し、京都動物園へ届けられた。明治26年奥洲で捕獲以来80年ぶり。日本第2記録となる。
1973年
昭和48年1月10日 コウノトリ観察。
京都府与謝郡野田川町の野田川流域に1羽渡来。1月21日まで滞在する。(観察者不明)
昭和48年2月11日 オオモズを田淵章が巨椋干拓地で観察する。
本州では極めてまれな迷鳥である
昭和48年5月「三光鳥」20号発行。編集長は大中啓助。
主な内容は「森林の公害」「探鳥するということ」「オオモズについて」「深泥池における鴨の渡来」など。
昭和48年11月10日 ムラサキサギを西村昌彦が巨椋干拓地で観察する。

1974年
昭和49年1月  昭和49年度役員
会 長 橋本英一
会長代行大中啓助
顧 問 佐藤磐根 伏原春男 岡本省吾
委 員 伊藤正美 石井照昭 井上誠治 岡田登美男 杉浦昭夫 高田俊雄 田淵
八木 昭 岸本幸一 小西忠昭 川喜田春子 鳥居道治 人見松美 林 昭一
昭和49年5月19日 アネハヅルを浅野守彦氏(一般の方)が巨椋干拓地で発見する。
京都府初記録アネハヅル2羽が5月25日迄滞在。日本へは冬鳥または迷鳥として渡来するだけ。
昭和49年7月「三光鳥」21号発行。編集長は大中啓助。
主な内容は「ムラサキサギの発見」「稲村ケ岳の旦暮」「河北潟」など。

1975年
昭和50年1月  会費等の改定
入会金 1000円 会費(年)1000円となる。
昭和50年1月 室内例会(鳥談会)が京都労働者総合会館で毎月第2火曜日で開催。
昭和50年 役員の追加 新委員 堀尾正三郎 堀尾岳行
昭和50年8月「三光鳥」22号発行。編集長は大中啓助。
主な内容は「枕頭に聞く鳥の声」「クイナ観察記」「屋久島の鳥」「野外鳥類識別学入門1」「巨椋干拓田にアネハヅル渡来」など。

1976年
昭和51年1月21日 橋本英一会長が4年有余の療養かいなく逝去される。
昭和51年8月「三光鳥」23号発行。今号を橋本英一先生追悼号として発行する。
8人の方が「橋本英一会長を偲びて」として追悼文を寄せている。
昭和51年 大中啓助体制の新役員 昭和51年度役員
会 長 大中啓助
顧 問 佐藤磐根 伏原春男 岡本省吾
委 員 伊藤正美 石井照昭 井上誠治 岡田登美男 岸本幸一 川喜田春子 小西忠昭 杉村昭夫 高田俊雄 田淵 章 鳥居道治 堀尾正三郎 堀尾岳行 林 昭一
人見松美 八木 昭    会員数 192名。
1977年
昭和52年1月 伊藤正美体制の新役員 昭和52年度役員
会 長 伊藤正美  
顧問 佐藤磐根 伏原春男 岡本省吾
名誉幹事高田俊雄
幹 事 石井照昭 岸本幸一 人見松美 堀尾正三郎 田淵 章
○会事務所 京都府向日市上植野町南開1−17 伊藤正美方
昭和52年8月 淡水魚の研究会(京都野鳥の会例会)
松本貞輔会員のご尽力で大堰川殿田付近の川原で多種類の淡水魚の観察と試食であった。例会の主な行き先は、大阪南港・鞍馬から貴船・比叡山・三川合流など。
1978年
昭和53年 例会は月1回平均で開催される。
例会の主な行き先は、安曇川尻・北山の水尾・醍醐境内・琵琶湖沖の島・大原野・比叡山・芦生・戸隠と藪原など。
昭和53年「三光鳥」25号発行。編集長は伊藤正美。
主な内容は「ヒトとホシガラス」「裏銀座縦走」「私の体験・ヤマガラ一家の出来事」
「21世紀の日本の野鳥」「野外識別学の哲学的側面」など。
*あとがきにそえて*或る一つの自然観と人間観〔自然美考要旨〕と題して伊藤会長が、12ページにわたって書いている。
1979年
昭和54年1月「三光鳥便り」第1号発行。編集長は久保忠雄。
本年度より、年一回の会誌「三光鳥」に併せ、会報「三光鳥便り」を発行する。
「三光鳥便り」発刊によせて(伏原春男)。待たれるたより(佐藤磐根)発刊の挨拶。
○会報「三光鳥便り」は季刊として、年4回発行する。今日迄の行事案内は毎月葉書で通知されていた。「三光鳥便り」に3ケ月分の行事を掲載する。
昭和54年1月 本年度から会費は年2000円 入会金は1000円とする。
昭和54年1月 昭和54年度役員
名誉会長 伏原春男  顧問 佐藤磐根 岡本省吾
会 長  伊藤正美
幹 事 土岡 譲 小西忠昭 久保忠雄 和仁真二 人見松美 三宅慶一 岩橋邦浩
鰐淵弘一   会員数316名
昭和54年7月「京都の野鳥」非売品(京都府委託事業)発行。会員には特別配布した。
昭和54年10月○会事務所移転
京都市西京区松室河原町5 ハイツエリー306号 伊藤正美方
昭和54年11月「三光鳥」26号発行。編集長は久保忠雄。
主な内容は「キレンジャクの翼の赤色突起」「万葉ホトトギス考」「ヤツガシラのことなど」「燕」「我輩はビーコである」など
1980年
昭和55年2月 本会集会所が出来る。三条通り堀川東入る2軒目南側 松本方
毎月第一金曜日に会合を持つ。これまでの京都労働者会館に於ける鳥談会を取り止める。
昭和55年5月25日「ジュニア野鳥教室」発会。ジュニア申込み生徒80名。
野鳥教室スタッフ 網野茂樹 中村善夫 松村淳一 網野寿一
野鳥教室指導員  中川千種 中村桂子 長谷川美奈子 藤井睦美 三宅慶一 鰐淵弘一    
○毎月1回、野外で野鳥教室を開催する。解散後に指導者会議を開き、今日の反省と次の    行事を決めた。若き指導員の集まりだったので活気があふれていた。
昭和55年11月「三光鳥」27号発行。編集長は久保忠雄。
主な内容は「平安始祖鳥」「中西会長辞任に対する反省」「ジュニア野鳥教室」「ユリカモメ観察会の報告」など。
○ユリカモメ観察会の報告(関道浤)要旨。
ユリカモメが戦後京都市内に姿を見せ始めたのは昭和48年(1973)頃からで、毎冬渡来。本調査を昭和55年1月と2月に参加調査員34人で各地点に散って、一斉調査を実施。
ユリカモメが塒としているのは琵琶湖で、集団飛翔の総羽数は3488羽と推定される。
1981年
昭和56年1月 昭和56年度役員
会長 伊藤正美  顧問 岡本省吾 佐藤磐根 支部長 伏原春男 名誉幹事 高田俊雄幹事 木ノ下喜久治 中村善夫 網野茂樹 西迫尚 三宅慶一 鰐淵弘一 久保忠雄
山鹿聖二 土岡譲 井上誠治 関道浤 松村淳一 船瀬茂信 鳥居道治 人見松美 和仁真二
昭和56年4月「三光鳥便り」10号発行。編集長は関道浤。
*バードウォッチングという言葉が始めて出てくる。
*例会が月平均2回となる。多い時は3回開催する。
昭和56年5月 第1号サンクチュアリ
(北海道・苫小牧市の東約10Kmの勇払原野の一角にある)1億円募金運動を展開する。多数の本会会員も寄付する。
昭和56年  ヤンバルクイナが沖縄北部で発見される。新種の発見とされ世界中を沸かす。
昭和56年12月「三光鳥」28号発行。編集長は伊藤正美。
主な内容は「鳥仲間の山あるき言辞録」「京都大学北海道演習林の夏鳥」「鳥を識ること−私の認識論−など。
1982年
昭和57年1月「三光鳥便り」13号発行。編集長は伊藤正美。
昭和57年4月 秘境の西表島の探鳥旅行を実施する。
昭和57年5月 創立30周年記念「野鳥展」を西大路四条のらくざんで開催する。
昭和57年7月「三光鳥便り」15号発行。編集長は金田敦男。
昭和57年12月13日 伏原春男先生が心筋梗塞のためご逝去される。
先生は鳥類分類学の権威として知られ、数少ない日本鳥学会名誉会員に選ばれている。一方日本野鳥の会京都支部長として長年ご活躍され、後進の指導に当たって下さいました。
昭和57年12月「三光鳥」29号発行。編集長は金田敦男。
主な内容は「沖縄探鳥旅行報告」「鳥とともに在るとき」「自然環境の破壊」など。
○巻頭言が始めて出来る。「自然保護の根源」伊藤正美会長として掲載。
1983年
昭和58年3月 京都野鳥の会の中より日本野鳥の会(新)京都支部が独立する。
昭和58年3月 京都野鳥の会新体制が発足。昭和58年度役員
会長 伊藤正美       顧問 佐藤磐根 岡本省吾  名誉幹事 高田俊雄
幹事 木ノ下喜久治 小西忠昭 中村善夫 中島愛治 三宅慶一 金田敦男 栗原 清
会計監査 土岡譲     一般会員数 375名 ジュニア数43名 合計 418名
昭和58年4月1〜5日 台湾探鳥旅行を実施する。
昭和58年5月 追加新幹事 西迫尚・栗原清に変わって金田忍それぞれ就任する。
昭和58年7月 京都野鳥の会研究班発足する。
昭和58年12月「三光鳥」30号発行。創立30周年記念号とする。
主な内容は「30年回顧」「京都野鳥の会創立期を顧みる」「台湾探鳥旅行報告」「台湾のたべもの」「台湾余情」など。
1984年
昭和59年9月 研究班を研究部に昇格して活発に動き出す。指導員のメンバーは次の通り。
天野史郎 井上二三男 岸川英雄 坂根栄二 竹下 裕 中村賢一 福田孝男 村上昌弘 森一真 森田 尚
昭和59年12月11日 中西悟堂先生ご逝去。
私共は野鳥の会の恩師中西悟堂先生を失いました。
昭和9年に日本野鳥の会創設者であり「野鳥」という語の生みの親で、真のナチュラリスト。そして詩人・文人として世の高い 評価を受けておられます。文化功労賞受賞者である。
1985年
昭和60年1月 昭和60年度幹事及び指導員
会長 伊藤正美
顧問 岡本省吾 佐藤磐根
名誉幹事 高田俊雄
副会長 木ノ下喜久治
幹事 小西忠昭 中村善夫 中島愛治 網野茂樹 三宅慶一 金田敦男 金田忍 西迫尚 指導員 天野史郎 井上二三男 岸川英雄 坂根栄二 竹下 裕 中村賢一 福田孝男 村上昌弘 森一真 森田 尚 丸山嘉雄
昭和60年7月26〜29日 ジュニアのための「藪原高原・夏のキャンプ」を開催する。
高原の探鳥、植物の採集、蛾の採集などと夜空の下でのキャンプファイアーを楽しむ。
1986年
昭和61年1月10日 顧問で樹木学者の岡本省吾先生がご逝去される。
昭和61年5月 写真(絵画)展。太陽ケ丘会館のロビーにて開催する。
昭和61年7月25日〜8月3日 京都野鳥の会自然教室を藪原高原にて開催する。
期間中10日間、本会のテント5張りを常設。伊藤正美・井上宗二・岡田光三が常駐。
昭和61年7月 琉球諸島の奄美大島・徳之島の探鳥旅行を実施する。
昭和61年7月 昭和61年度役員と分担
会長 伊藤正美
副会長 木之下喜久治(会計)
幹事 小西忠昭(通信発送)三宅慶一(保護)網野茂樹(ジュニア教室)西迫尚(会員)  中村善夫(鳥類保護連盟)中島愛治(ジュニア)金田敦男(会報編集)金田忍(研究部)  井上二三夫 岸川英雄 坂根栄二 竹下裕 福田孝男
研究部 森田尚 森一真 村上昌弘 中村賢一 中村純夫 平島義郎 丸山嘉雄
1987年
昭和62年1月 京都野鳥の会保護部発足する。
昭和62年5月15日〜19日 タイ国探鳥旅行を実施する。
昭和62年5月11日 中国愛鳥教育交流団と菊水に於いて歓迎懇親会を開いた。
1988年
昭和63年1月 昭和63年度役員
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治
幹 事 小西忠昭 中村善夫 中島愛治 金田敦男 網野茂樹 金田 忍 三宅慶一
西迫 尚 井上宗二 福田孝男 岸川英雄 竹下 裕 井上二三男 坂根栄二
昭和63年3月 伊藤正美会長が「野鳥生態版画集」上・中・下、三巻を発刊する。
日展名誉会長の故北村西望画伯が賛辞を寄せるほど、伊藤先生の版画は独自の世界を表現している。今回の手刷り出版は限定品。後日普及版として発行する予定。
昭和63年4月「三光鳥便り」38号発行。編集長は福田孝男。
例会が毎月平均4回開催で活気がみなぎる。主な内容は「安祥寺池のオシドリ」「巨椋干拓田」など。
昭和63年7月1日〜5日 北海道・道東探鳥ツアーを実施する。
昭和63年12月「三光鳥」35号発行。編集長は福田孝男。
主な内容は「北海道探鳥旅行記」「米国探検家の日本探訪」「定説の再考を願う」「フランスの自然」「尾瀬」など。   会員数 457名。

1989年
平成元年1月 平成元年度役員
会 長 伊藤正美
名誉幹事 高田俊雄
副会長 木ノ下喜久治
幹 事 小西忠昭 中村善夫 中島愛治 網野茂樹 金田敦男 金田 忍 三宅慶一 西迫 尚 井上宗二 福田孝男 岸川英雄 竹下 裕 井上二三男 坂根栄二 森 一真
平成元年7月2日〜8日 三宅島・八丈島探鳥旅行」実施する。
平成元年10月6日〜15日 アメリカ中西部バードウォッチングツアーを実施する。
平成元年12月「三光鳥」36号発行。編集長は福田孝男。
主な内容は「口絵写真レンカクとオジロビタキ」「三宅島探鳥旅行」「オハイオバードウォッチング」「鳥類標識調査講習会」「探鳥地ガイド・徳島」など。
1990年
平成2年5月15日 日中愛鳥教育国際交流会を京都ロイヤルホテルで開催される。
中国側から5名が来日、本会から6名が出席。京都府からも出席して国際交流懇親会を親しく持った。
平成2年7月3日〜11日 ボルネオ・バリ島探鳥旅行を実施する。
平成2年12月1日 ○会事務所変更 京都市東山区豊浦町343 中村善夫方へ
伊藤会長が12月20日を以て京都を引き払い長野県に転居される。ことにより新事務所を
中村善夫宅へ移転する。
平成2年12月22日「三光鳥」37号発行。編集長は福田孝男。
主な内容「ボルネオ探鳥旅行記」「ケアンズ及びダンク島バードウォッチングレポート」
1991年
平成3年1月 会費等の変更。
会費(年)2500円 家族会費(年)1500円  ジュニア(年)1500円
入会金1000円 (ジュニアは免除)
平成3年1月 平成3年度役員
会 長  伊藤正美
副会長  木ノ下喜久治(総務)中村善夫(事務局)
幹事長  小西忠昭(企画) 副幹事長 網野茂樹(広報・ジュニア)
幹 事  井上宗二(経理) 中島愛治(広報) 金田敦男(広報) 井上二三男(保護) 三宅慶一(保護) 森 一真(保護) 福田孝男(編集) 岸川英雄(編集) 竹下 裕(編集) 山副茂彦(編集) 金田 忍(研究) 坂根栄二(研究) 西迫 尚(研究) 平島義郎(研究)
平成3年2月 日本鳥類保護連盟より「愛鳥号」を本会へ貸与受ける。平成10年廃車する。
平成3年5月 桂坂野鳥園開園する。毎土曜日と日曜日に公開する。
平成3年7月5日〜9日 西表島方面探鳥旅行を実施する。
1992年
平成4年12月「三光鳥」39号発行。今号は創立40周年記念号とする。編集長は福田孝男。
「巻頭言 一筋の道を−会の40周年に当たって−」「口絵写真はエリマキシギ・ミゾゴイ・    オシドリ・ヤマセミ」「野鳥と心の内の野鳥」「野鳥の会の想い出など」「富士須走の野鳥」「三光鳥の思い出あれこれ」「40周年を迎えて」「40周年にあたって」など。

1993年
平成5年1月24日 平成5年度総会を紫宸殿で開催する。
一般議事終了後、本会創立40周年記念行事の一環として古参会員に感謝状と記念品を贈呈また一般会員全員には会報ファイルを配布した。
平成5年5月9日 第47回愛鳥週間「全国野鳥保護のつどい」を開催。
京都府丹波自然運動公園にて環境庁・日本鳥類保護連盟・京都府主催、文部省・林野庁の後援で開催された大きなイベントである。
○伊藤正美会長は日本鳥類保護連盟総裁賞を受賞する。
○中島愛治幹事は環境庁長官賞を受賞する。
平成5年5月「京都の野鳥」発行。
京都府主官 京都野鳥の会・日本野鳥の会京都支部編集協力
平成5年5月29〜30日 40周年記念探鳥会を開催する。
上高地での夕暮れと早朝の探鳥会を目的にするバスツアーである。
平成5年6月12〜13日 40周年記念探鳥会(第2弾)を開催する。
立山・弥陀ケ原から室堂での探鳥会を目的とするバスツアーである。
平成5年7月24〜25日 40周年記念探鳥会(第3弾)を開催する。
和佐又山でコノハズクの声を聞く会を目的とするバスツアーである。
平成5年 傷害保険に加入する。
今年から例会時の傷害事故に備えて、例会参加者全員に傷害保険を付保することになる。
日帰り例会は本会の負担とし、宿泊をともなう例会については参加者負担での契約とする参加者は集合されたら直ちに名簿に記入下さい。

1994年
平成6年1月 平成6年度役員及び役務分担
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治 中村善夫(事務局長)
幹事長 小西忠昭(企画) 副幹事長 網野茂樹(広報・ジュニア)
幹 事 井上宗二(経理) 中島愛治(広報) 井上二三男 森 一真 三宅慶一(以上保護) 福田孝男 岸川英雄 竹下 裕 山副茂彦(以上編集) 金田忍 西迫尚 平島義郎 金田敦男 坂根栄二(以上研究)
研究部員 秋田清 内海孝司 杉浦健児 中村純夫 西原滋 村上昌弘 会員数 668名
平成6年4月25〜29日 対馬探鳥旅行を実施する。
平成6年6月 小泉博保会員が京都府から鳥獣保護員として行政協力功労者で表彰を受ける。
平成6年12月「三光鳥」41号発行。編集長は福田孝男。
主な内容は「口絵写真タマシギ・ノジコ」「対馬探鳥旅行記」「織田山詣で」「巨椋干拓田に思う」「型絵染・アオバズク」など。
1995年
平成7年1月 平成7年度役員及び役務分担
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治 中村善夫(事務局)小西忠昭(研究)網野茂樹(広報ジュニア)    
幹事長 中島愛治(企画)
幹 事 井上宗二(会計)金田忍(保険)
井上二三男 三宅慶一 森一真(以上保護)
福田孝男 岸川英雄 竹下 裕 山副茂彦 西原 滋(以上編集)
平島義郎 西迫 尚 金田敦男(以上研究)
研究部員 中村純夫 杉浦健児 村上昌弘 秋田 清 内海孝司
平成7年5月平成6年度京都府野鳥ふれあい推進活動助成事業補助金を受ける。
平成7月11月28日〜12月5日 オーストラリア探鳥旅行を実施する。
平成7年12月「三光鳥」42号発行。編集長は福田孝男。
主な内容は「口絵オーストラリアセイタカシギ・コミミズク」「コジュケイ雑記」
「鳥二題」「熱帯雨林の魅力にひかれて キナバル山探鳥記」など。
1996年
平成8年1月 平成8年度役員の役務変更と新任
幹 事(編集部長)福田孝男から山副茂彦へバトンタッチ。
新幹事 江口重利  新研究部員 河手正昭
平成8年4月「三光鳥便り」70号発行。編集長は山副茂彦。
主な内容は「例会予定」「平成7年度例会回数報告と参加回数上位者」「平成8年度の役員及び分担表」「前年度会計報告」「新入会紹介」「特別企画 オーストラリア探鳥旅行の特集」「鳥だより」など。
*140ページにわたり内容が豊富である。
平成8年5月「野鳥写真展」太陽ケ丘ロビーで3日〜5日開催する。
平成8年12月6〜8日 鹿児島県出水の鶴探鳥ツアーを実施する。

1997年
平成9年1月 平成9年度役員及び分担
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治 中村善夫(事務局)小西忠昭(研究)網野茂樹(広報ジュニア)
幹事長 中島愛治(企画)
幹 事 井上宗二 金田 忍(以上総務)
井上二三男 三宅慶一 森 一真(以上保護)
山副茂彦 岸川英雄 竹下 裕 西原 滋 福田孝男(以上編集)
江口重利 金田敦男 西迫 尚 平島義郎(以上研究)
研究部員 中村純夫 杉浦健児 河手正昭
平成9年10月「三光鳥便り」76号発行。編集長は山副茂彦。
○自然環境を少しでも守る為に、今号から古紙再生紙を使用して出版する。
平成9月10月17日 名誉幹事の高田俊雄先生がご逝去。
先生は日本学士院会員で親子二代の鳥類研究家。
1998年
平成10年3月4〜9日 八重山諸島探鳥旅行を実施する。
平成10年12月「三光鳥」45号発行。編集長は山副茂彦。
主な内容は「巻頭言 一筋の道」「西表島、石垣島探鳥記」「尾崎紅葉と鳩羽鼠」「型絵染ツグミ」など。
平成10年12月 創立45周年にあたり全会員に「野鳥生態版画集 作・伊藤正美」著を配布した。
1999年
平成11年1月 京都野鳥の会ホームページを開設する。HP委員会を設置し活躍する。
アドレスはhttp://www2u.biglobe.ne.jp/ 〜yachou/
平成11年1月 平成11年度役員及び分担
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治 中村善夫(事務局)網野茂樹(広報)小西忠昭(研究)金田 忍    
幹事長 中島愛治
幹 事 井上宗二(会計)井上二三男 三宅慶一 森 一真 杉浦健児(以上保護)
山副茂彦 岸川英雄 竹下 裕 福田孝男 河手正昭(以上編集)
西原 滋 江口重利 金田敦男 西迫 尚 平島義郎(以上研究)
指導員(研究部員)
中村純夫 清水義博 多賀靖治 濱名晃巳 山下勝平   会員数 603名
平成11年4月 本会会員証を発行する。会員番号を決定し、全会員にお知らせする。
平成11月10月 研究部に於いて、8地点で調査を開始する。
毎月調査員が現地踏査をしている。
平成11年12月「三光鳥」46号発行。編集長は山副茂彦。
主な内容は「巻頭言 人間の使命」「鳥の宝庫、コスタリカへの旅」「三宅島探鳥」など
2000年
平成12年1月 本会指定店(第1号)カメラのナニワ京都店を指定。
本会会員証提示してご利用下さい。
平成12年2月 本会指定店(第2号)アウトドアーのお店「ロッジ」を指定。
大阪店・京都店とも利用できる。本会会員証を提示する。
平成12年  平成12年度役員
会 長 伊藤正美
副会長 木ノ下喜久治 中村善夫 小西忠昭 網野茂樹 金田 忍
幹事長 中島愛治
幹 事 井上宗二 山副茂彦 岸川英雄 竹下 裕 福田孝男 井上二三男 河手正昭 三宅慶一 森 一真 杉浦健児 西原 滋 江口重利 金田敦男 西迫 尚 平島義郎 中村純夫 清水義博 多賀靖治 濱名晃巳 山下勝平
2001年
平成13年1月 京都野鳥の会会則の改正。平成13年度総会で決議した。
平成13年1月 木ノ下喜久治体制の新役員 平成13年度役員及び担当責任者
会 長 木ノ下喜久治
名誉会長伊藤正美
副会長 中村善夫(事務局長)
幹事長 中島愛治(企画)
幹 事 山副茂彦(編集)小西忠昭(研究)井上二三男(保護)河手正昭(会計)網野茂樹(広報・ジュニア)金田忍(桂坂野鳥園)福田孝男(情報通信)井上宗二 江口重利 金田敦男 岸川英雄 竹下 裕 清水義博 杉浦健児 多賀靖治 中村純夫 西迫 尚 西原 滋 濱名晃巳 平島義郎 三宅慶一 森 一真 山下勝平
監 事 大内正夫 鰐淵弘一
○本年度から各担当部門にスタッフ制をとる。
平成13年6月12日 木ノ下新体制にともない事務所を会長宅へ変更する。
会事務所移転 京都市上京区猪熊通出水下る 木ノ下喜久治方へ
平成13年6月13〜18日 北海道バードツアーを実施する。


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