京都野鳥の会/TOPICS
2005年4月15日 京都新聞 「車いす利用者、野鳥に親しむ」
2002年1月5日 京都新聞 「いいこと起こる前兆? 日本最小のタカ・ツミを保護」
2001年3月8日 京都新聞 「ユリカモメのねぐら 宇治の木幡池にも…」
2001年2月24日 京都新聞 「海岸に生息イソヒヨドリ/南区の民家に住みつく」
2001年2月12日 京都新聞 「ハヤブサが都会に舞う−つがいでえさ求め」
1999年3月22日 朝日新聞 「観察の目,版画に鮮やか」

2005年4月15日 京都新聞より

車いす利用者、野鳥に親しむ
ボランティアが企画

 高齢者や障害者ら車いすの利用者が野鳥に親しむ鑑賞会が14日、京都市の鴨川河川敷で開かれた。透き通った青空の下、参加者が鴨川を訪れる野鳥を望遠鏡のレンズ越しに観察した。
 鴨川河川敷まで車いすで自力で降り、散策するのが難しいことから、車いす利用者の外出支援を行うNPO法人(特定非営利活動法人)「京都運転ボランティア友の会」(京都市南区)が初めて企画した。28人が参加した。
 区間は鴨川の御池大橋から荒神橋までの約1・2キロ。京都野鳥の会(宇治市)のメンバーから案内を受けて、参加者は鴨川の水面にいるマガモの群れやコサギの姿を双眼鏡で追った。越冬を終え南方から渡ってきたばかりのツバメが上空を飛び交うのも確認した。
 伏見区の田中サカエさん(84)は「車いすを使うようになってから、鴨川の河川敷を通るのは初めて。これまでは(川より高い位置にある)川端通からシラサギをながめたぐらい。いろんな種類のカモを間近に見られてよかった」と喜んでいた。


2002年1月5日 京都新聞より

いいこと起こる前兆? 日本最小のタカ・ツミを保護
−園部で京都野鳥の会会員−
元気回復し放鳥

 日本国内で一番小さいタカ「ツミ」の成鳥を,京都野鳥の会会員西原滋さん(53)=京都市伏見区=が,正月三日に保護した。帰省の帰路で見つけたといい,西原さんは「『一富士,二鷹,三茄子』のいわれ通り,正月から縁起がいい。昨年はテロなど暗い話題が多かったが,今年はいいことが起こる前兆かも」と喜んでいる。
 ツミはワシタカ科で全国の山林に生息する。生息数が少なく,体も小さいため,人の目に触れる機会はまれという。
 西原さんは三日,帰省先の加悦町から帰宅途中,園部町内で,車のフロントに何かが当たったのを感じた。車を降りて調べると,路上であおむけに倒れているツミを発見。マフラーで包んで自宅に運び,ヒーターで暖めて介抱したところ,四日朝になって元気を取り戻した。
 保護したツミは雄で,全長約30p。体は小さいが,かぎ状のくちばしで肉をひきちぎって食べ,手に持つと厚い革手袋を通して,鋭いつめと強い握力を感じるという。
 体を調べてもけがはなかったため,四日午後に放すことに。車で園部町まで運んで放したところ,元気に飛び立っていった。


2001年3月8日 京都新聞「地域総合ニュース」より

ユリカモメのねぐら 宇治の木幡池にも…
−地元の愛鳥家が観察−

 冬になるとロシアのカムチャツカ半島から宇治市の宇治川や京都市の鴨川などに渡来するユリカモメ。夜は琵琶湖で過ごすとされていたが,住宅街で交通量も多い宇治市木幡の木幡池(約13f)をねぐらにするユリカモメのいることが,このほど地元の愛鳥家・中島愛治さん(66)=同市神明=の観察で分かった。
 中島さんによると,同池をねぐらにし始めたのは1月初旬から。午後4時ごろに池に戻ったユリカモメは,そのほぼ中央で一晩を明かし,翌日の夜明け前後に再びえさを求めて飛び立つという。観察では,2月初旬のピーク時で約200羽,今は50羽ほどが集まっているという。
 中島さんの話では宇治川にユリカモメが飛来し始めたのは1975年ごろからで,多い年で約500羽,今年は約200羽を確認した。  龍谷大の須川恒・非常勤講師(53)=鳥類生態学=は「珍しい。池の中央なら野良犬などの地上の外敵から襲われる心配がないと確認したのか。傷を負ったカモメをグループで守るために,琵琶湖より近い木幡池で過ごしている可能性もある。一時的なものか今後も続くのか,調査を続ければ,木幡池をねぐらにする意味も分かってくるだろう」と話す。
 春が近づき,ユリカモメもそろそろロシアに戻る季節。中島さんは「旅立ち前の安住の地を,これからもそっとしてあげてほしい」と願っている。


2001年2月24日 京都新聞朝刊「市民版」

海岸に生息イソヒヨドリ/南区の民家に住みつく
−昨年の冬も長期間滞在 「家 覚えていた」−

 海岸べりに生息するイソヒヨドリが,南区上鳥羽の京都野鳥の会会員,麻生二三男さん(62)の自宅に毎日,姿を見せている。庭のエサ台の虫やパンを食べに来ており,麻生さんは「イソヒヨドリが京都市内に長期間滞在するのは,珍しいのでは」と話している。
 イソヒヨドリはツグミの仲間で,体長は約23センチある。オスは頭から背にかけて青,腹は赤く,全国の海岸の岩場などに巣を作る。海の近くでは時折,市街地にも姿を見せるという。  麻生さんの自宅に初めてイソヒヨドリが現れたのは昨年二月,オス一羽が二カ月ほどほぼ毎日,エサを食べに来て,二カ月ほど住みついて故郷に帰った。
 今年は,先月28日に初めてオス一羽が見つかった。昨年のイソヒヨドリが戻ってきたらしく,隣家の軒先など自宅周辺にほぼ一日中いる。麻生さんは日に数回エサをやっており,麻生さんがエサ台を離れると降りてきて虫をついばみ,愛らしい姿を見せている。麻生さんは「四月初めまでいて海岸に帰るのでは。春先から美しくさえずるのが楽しみで,来年も来てほしいですね」と話している。
 京都野鳥の会は「イソヒヨドリが内陸部の京都市内に長期間,住みつくのは極めてまれ。麻生さんの家を覚えていたのも不思議だ」と話し「京都に来たのも,海岸の汚染やエサの減少など,海の環境悪化が原因かもしれない」と話している。
麻生さん宅のイソヒヨドリ(写真)…新聞に掲載されたものとは別です。


2001年2月12日 京都新聞

ハヤブサが都会に舞う−つがいでえさ求め
−野鳥の会が伏見で確認−

  主に海岸などで生息している猛きん類のハヤブサのつがいが,京都市伏見区石田西ノ坪の市東部クリーンセンター周辺に姿を現しているのを,京都野鳥の会研究部長の小西忠昭さん(57)=同区=が確認した。ハヤブサが,都市部を生活域にするのは珍しいという。
 小西さんが,毎日のようにハヤブサを見かけるようになったのは今年に入ってから。同センターの煙突の頂上部付近で羽を休め,時おり煙突の周りを飛んでいる。周辺をえさ場にしているらしく,近くで営巣しているとみられる。
 ハヤブサは,主に北海道から九州にかけての海岸や山の断がい,原野などを生活域にする。絶滅の危険が増大しているとして,環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧U類に分類されている。  小西さんは「腹部の模様や飛翔する姿などからハヤブサに間違いない。山にすんでいたハヤブサが,冬場にえさがなくなったため,都心部にやって来たのではないか」と話している。


1999年3月22日,朝日新聞の京都市内版「けやき通り/野鳥とともに」の欄に,
本会の伊藤会長とその『野鳥生態版画集』についての紹介記事が掲載されました。
既にご覧になられた方も多いと思いますが,ここに改めてご紹介したいと思います。
ちなみに,当ホームページの最初に掲げてあるのは,会長の版画集の一部です。

観察の目,版画に鮮やか

 京都野鳥の会から一冊の版画集をいただいた。会長の伊藤正美さん(81)が1994年に出版した「野鳥生態版画集」。会が去年12月に創設45周年を迎えたのを記念して会員らに贈った。
 大空に向かって全身をふるわせ,力いっぱいさえずるホオジロ,捕まえたばかりの小鳥を鋭いつめでしっかりつかんだハイタカ,カキの実に止まったメジロ。生き生きとした30種の野鳥の姿。版画は我流だが,長年の野鳥観察の確かな目が捕らえた力作である。
 京都野鳥の会は,比叡山で探鳥会を続けていた伊藤さんら有志が,動物生態学者の故・川村多実二京大名誉教授を名誉会長に53年に創設した。伊藤さんは77年から三代目の会長を務める。
 発足当時35人だった会員は,いまでは近畿一円に六百数十人。年間約50回の探鳥会をはじめ,各種の自然環境保護運動など幅広い活動,交流を続けている。
 伊藤さんは京都野鳥の会の会長をしながら,現在は長野県木祖村奥菅の大自然の中で暮らしている。生涯を野鳥とともに生きることにした伊藤さんには,こんな思い出がある。
 戦時中,主計中尉として配属された広島の中国軍需管理局の事務室前の樹上に,ササゴイ(サギ科の夏鳥)が営巣しているのを見つけた。あの朝,いつものように観察のため早めに出勤。双眼鏡をのぞいた後,机に向かって一服した瞬間,吹き飛ばされた。原爆投下。気がついたら全身ガラスの破片で血だらけ。だが,ビルの中だったため,一命は取り留めた。
 「ササゴイが命を救ってくれた」。伊藤さんはいまもそう信じている。版画集にはそんな野鳥に対する思いが込められているようだ。(三)

Top